■ 2006_ワールドカップ日記(The 対談)・・哲学者、小林敏明さんとの対話 
http://www.yuasakenji-soccer.com/yuasa/html/topics_3.folder/06_wm_45.html
「サッカー監督という仕事」などの著書で知られるサッカージャーナリストの湯浅健二さんのホームページでのコンテンツで、哲学者の小林敏明さんとの対談です。
で、この内容が本当に素晴らしい。非常に興味深いコンテンツが内包されています。
小林さんは、私のHPの読者で、毎日欠かさず開いてくれているとのこと。だから、湯浅が創作したサッカーのコンセプト表現にも精通しているのです。互いに使い、使われるメカニズムとか、主体的に仕事を探すプレー姿勢、また良いサッカーはクリエイティブな無駄走りの積み重ねとか、有機的なプレー連鎖の集合体とか・・ね。そのなかで、小林さんが特に気に入っているのが、「勝負はボールがないところで決まる」という表現らしい。「まさに、その通りなんだと思うよ。サッカーは基本的にパスゲームだということだよね。そこで、ちょっとその意味を考えてみたんだ。そこで脳裏に浮かんできたのが、空間の間と、時間の間、そして人間の間という発想・・」。
ここからは、ちょっと難しい表現がつづいたので、私が要約することにチャレンジします。要は、パスを成功させるためには、出す方と受ける方との間にある空間としての(物理的な)間だけが見えているだけでは十分ではない・・彼らは常に動いているわけだから、未来ファクターとしての時間の間という概念も大事になってくる・・要は、動きがつづいているなかで、次のスペースもイメージできていなければならない・・そして最後が、プレーヤー同士のイメージのつながりという意味での、人間の間・・。
「空間と時間、そして人間ということで、そのすべてに間という言葉が入ってくるよね。だから、間の三拍子なんて呼べたりもする。それが揃ったときに、ゲームが非常にきれいなモノになってくると思うんだよ」と、小林さん。
それは、上記にある空間と時間と人間の3つの「間」で織り成すパスについての考察。
まず、パスを出すには空間が必要なのは当たり前。出し手と受け手の間に空間がなければいけません。
ちなみに、時間と人間に入る前に、技術についても。
まず、出し手と受け手の直線上に相手選手がいる場合の対処法として考えられるのは2つ。
上に浮かせるか、相手選手を避けてスペースに出すか。後者の場合、受け手が少し動いて足元に受ける、といった類のものではなく、受け手を走らせる、あるいは受け手が走り、自分が走っている先のスペースにパスを要求する類のものが所謂スルーパスで、この場合には後述する人の「間」が重要になります(それもサッカー選手の「技術」と言えるのかもしれませんが、本稿では「技術」は純粋なテクニックとして表記し、こういった間を察知する能力は、知性・インテリジェンスとして表記します)。前者の場合には、蹴る出し手の技術が必要なわけです。当たり前ですが、グラウンダーのパスなら、方向さえしっかりしていれば相手に必ず届きますが、浮き球なら相手を通り越してしまうかもしれないのですから。
次に、間に隙間はあるが、2人の相手選手がいる場合。この場合にはその隙間に正確に通す技術が必要になります。状況によっては、速い球であればあるほどその相手選手が取りに行く時間が少なくなるわけですからキック力も必要になりますが、速い球を正確に蹴るために必要なのは正に「技術」なのです。
ちなみに、受け手にも、速い球や浮き球であれば正確にトラップする技術が求められますね。
本題に戻って、時間と人間についててですが、この文章を見て鮮やかに甦ったのは、今回のワールドカップの準決勝、ドイツ対イタリアの決勝ゴールのシーン。ちなみにyoutubeのコチラでご覧になれます。
相手ディフェンスのクリアボールを拾ったイタリアの21番ピルロがゆっくりとキープします。ピルロに3人のディフェンスが引き寄せられます。元々ピルロは危険な選手ですが、これにはその前に同じような位置から危険なミドルシュートを放ったという経緯も含まれているでしょう。フットボールとはかくも突き詰めれば突き詰めるほどに心理的なコノテーションを含有しているわけです。そして、タメを作り出したピルロのこれ以上無いというほど最高のタイミングで出されたノールックのパス。そしてそれを感じていた3番グロッソがダイレクトに振りぬいたシュートがネットを突き刺す!本当に素晴らしいゴールシーンでした。
まず、ピルロが相手選手を引き寄せるそのことにより、本来彼らがいたスペースが空き、空間の「間」が生まれます。そして、どれだけ相手をおびき寄せれば、あるいは味方選手のフリーランニングを待てば自分のイメージするシーンを演出できるか、ピルロは時間の「間」もイメージしています。そして、ピルロの思い描く未来のイメージをグロッソが共有できているのです。これが一番素晴らしい。人間の「間」。また、逆に言うならば、グロッソとシンクロニシティーを確認できるまでの時間をピルロのキープが演出した、と言えるかもしれません。ピルロがボールキープを始めてすぐに、実はボールを蹴りこむスペースがグロッソの前に空いています。グロッソがそれを感じていればそこに走りこんで強烈なシュートを放っていたかもしれませんが、そうでなければ相手ディフェンスにボールを渡すことになっていたでしょう。おそらく、ボールを出す前にピルロとグロッソの間に意志を確かめるアクションやアイコンタクトがあったのではないでしょうか。そしてグロッソと人間の「間」が繋がったことを確信したピルロの必殺パス、と。
さらに、小林さんが続けたここにはジーコが率いた日本代表の問題が収斂されていると言えるでしょう。
「日本チームでは、その間をしっかりと感じながらプレーしていたのが中田英寿ということなんだろうね。ただ、彼のスルーパスが通らないことがあるじゃない。それって、周りの選手が空間的な間しか見ていないということだと思うんだよ。未来ファクターとしての時間の間が感じられていないというか・・。そのチグハグが、彼の不幸だったかもしれないね」。小林さんがつづけます。「どうも日本人は、過去ばかりに目を向ける傾向が強いと言えるかもしれない。先を見たり、先を読んで行動することには、勇気と決断力が必要になるからね。日本人は、それは、ちょっと苦手かもしれない。ボールは、飛んでしまったら、もう遅いから。その前に、未来を予測するっていうことなんだと思う。もちろんボールを持つ選手は、未来に対してパスを出すという感覚を持たなければならないし、パスを受ける方も、未来に向かって走るという感覚を持たなければならないということだね。要は、サッカーでは、創造性と想像性の両方が必要ということかな」。
先程のイタリアのゴールシーンには技術に関してもてんこ盛りで、ピルロのキープ力、パスの精度、そしてこれ以外にない、という所に蹴り込んだグロッソのシュート精度。極端な話、物凄いロングパス精度があれば、何人間に相手選手がいようが、一番前の選手がオフサイドポジションにいなくて、その前にはスペースがあり、かつキーパーより先にその味方に届く場所があり、そこに蹴れさえすればそれが一番簡単なわけですが、そんな風にはそうそういかないわけで、ボールの無い場面での動きが重要になるわけです。そして勿論さらに技術もあった方がいいわけですが。
パスを出したい選手との間にいる相手選手が邪魔で、上を通す技術も無い、そんな場合にはどうすればいいのか。受け手が動くしかないわけです。急激な方向転換などを繰り返しマーカーを振り切る、パスルートが空くまでスペースを動き回る、相手ディフェンスをひきつける動きをして周囲のスペースを空ける、いかにもボールをもらうぞ。とおとりになるような動きをする。守備の局面でも、複数の選手で相手を止めに言った場合にはその空いたスペースを埋める、空間の絶対的な広さを狭めるためにラインをコンパクトにする、自分のプレーエリアから外れて動くマーク相手に、味方とマークの受渡しをする、あるいはそのままマークを続けて、本来そのエリアにいる選手が空いたスペースに移動する、などなど。
それを中田英寿は常に言い続けていた。そしてこれらのプレーにはことごとく知性と、周囲の選手との共通認識が求められます。そして、ピッチを動き続けることの出来るスタミナが。しかしそれはジーコの下ではついぞ理想的な形では機能することが無かった。そして、それを熟知しているオシムが代表監督になる。その時にヒデよ、なぜ引退してしまったのですか…。残念無念。

