第3回 primal scream 34

その音は地下鉄のホームに入ってくる電車のように 、俺の知らない暗闇からやってきた。正体を見せずにどこか遠くで鳴っているように装いながら、ほんの少しずつ、ゆっくりと確実に近づいてくる。汚いやり方だった。しかし、俺は何が汚くて何がきれいなのかわからなかった。汚いのは政府だ、役人だ、と叫んでみた。別に何もおこらなかった。誰もそんなことを気にしなかった。やがて気付いたときには、あと数回で胸を突き破るのではないかと思うぐらい、俺の心臓は激しく脈打っていた。誰かが俺の体の中にいて、内側から思い切り蹴っているようにも思えた。俺は自分の腹を突き破って血が噴出すところを想像した。まるでエイリアンのように。とにかく俺は音の正体を確かめようと、気持ちを集中した。方向は定かではなかったが、耳をすましてじっとしてみた。一瞬、全てが静かになったと感じた途端、それはいきなり俺の耳元で、どくん、とひとつ大きく響いた。

そして俺は自分の叫び声で目を覚ました。
口の中には叫びの尻尾が残っていて喉を塞ぎ、しばらくまともな呼吸が出来なかった。 両手両足は爪の先まで緊張が行き渡り、身体は棒のように真っ直ぐ伸びきっていた。きっと偉大な空手家が思い切り腹を殴ってもびくともしないだろう。逆に拳が折れるに違いない。全身は汗でじっとりと湿っていた。心臓は俺という抜け殻の中を跳ね回るように相変わらず激しく脈打っていた。これだけが夢と同じだった。大体そういうもんだ。金とか食べ物とかは夢の通りには行かない。心臓は俺の所有物ではなく、独立した生き物のようだった。眼球が俺の意図とは関係なく何かを探すかのように部屋中を見渡しているが、部屋の中はただぼんやりとした暗く、全てが平面だった。さっきの叫び声がまだ頭の中でこだましていた。声を出そうとしても音にならなかった。とりあえずもごもごともがき、無理やり上半身を起こすとなぜか腰に痛みが走るが、その痛みはどう考えても現実のものなので、俺の意識の中に、とにかく戻ってきた、という安堵感が芽生えた。心臓は相変わらず激しく脈打っていたが、俺の胸の中にある鳥かごに収まっていた。

俺はまず手足がちゃんとあることを確認した。そして、さっき痛みが走った腰の辺りをゆっくりさすってみた。何も無かった。口を大きく開けて、あらためて呼吸することに意識を集中すると、やっと十分に息を吸い込むことができた。心臓は徐々にはしゃぎ回った後の子供のようにおとなしくなり、今は俺の呼吸に合わせて動いていた。それでいい。汗を拭い、深呼吸をくり返し、そのままの状態でしばらく時間やり過ごすと、やがて2つのことがわかった。1つはここが俺の部屋であること。もう1つはスーツを着たままであることだ。まだぼんやりとした意識の中で、俺は試しに自分の名前を最初から言ってみる。頭の中で。名字が出るまで2秒、名前が出るまでさらに2秒。しかし、両方とも自分のことを示しているということが理解できなかった。誰かが俺に向かってこの名字か名前を口にしたら、俺は何らかの返事が出来るのだろうか?

気がつくと部屋は真っ暗ではなく、窓から弱々しい、本当に弱々しい光が差し込み、早朝のようでもあり、夕方のようでもあった。 俺はベッドの回りに血などがついていないことを確認すると、頭に手を置いて、昨日何があったかを思いだそうとした。すでに手足の感覚が徐々に戻ってきていた。日付や時間が定かでなくても落ちついていられるのは、俺が何も仕事をしていないし、友達もいないからだった。今日が何日であろうと何曜日であろうとまるで関係なかった。昨日のことを思い出そうとしているのは、なぜスーツのまま寝たのか知りたいだけだ。だがしかし、それもどうでもよくなった。ネクタイやベルトが、ヘビのように思えた。スーツは汗で湿り、まるで水浸しの人間に、後ろから抱きつかれているようだった。基本的には自分が何をしようと、どうなろうと、構わなかった。俺には目的とか理由とかいうものが欠落していた。

ベッドから起きあがろうとすると、突然首の後ろに鞭で殴りつけられたような痛みが走った。それで立っていられなくなり、ベッドにしりもちをつくように座り込む。首を押さえ痛みがやわらぐまで目を閉じて呼吸を整える。落ちついたところで立とうとすると今度はいきなり部屋が斜めになり、天井が上下に動きだす。座り込む、そしてまた立ち上がる。まるで自分で自分を殴っているようだった。そんなことを何回か繰り返しているうちに、何とか身体をコントロールすることを覚え、歩くこつをつかみ始めた。膝を曲げる、足を踏み出す、そういったことを一つずつ思い出していく。そして俺は母親を見つけた子供のようにゆっくりと1歩1歩足を踏み出す。歩き方を覚えたところで行くところはなかったのだが。
緊張と自由と焦燥と安堵と痛み、そして現実。
キッチンにたどりつくまでに、途中で2度吐き気を催し、2度とも吐いた。生きていた。
(2004.10)

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