第48回 cradlesong

俺は時間をつぶしていた。約束の時間はとっくに過ぎていた。それでも俺は動かなかった。この仕事で最も重要なものは“落ち着き”だった。そのために俺はいつも時が味方するのを待った。物事には全てタイミングというものがある。そのタイミングを逃さず捕まえられるかどうか、それが仕事の結果を左右した。俺は空を見ていた。俺は道路を見ていた。俺は湿度を感じていた。俺は他人の視線を感じていた。俺は自分の呼吸に意識を集中した。俺は時を待っていたが、世界も何かを待っていた。俺は今回の相手の写真をポケットからゆっくりと取り出し、静かにながめた。周りの音が何かに吸収されるように小さくなっていった。やがて俺の耳に何も届かなくなった。一瞬、電球が切れたような暗闇が通りかかった。ほんの一瞬だった。普通の人間には感知できない闇だった。そうやって俺の時は訪れた。

俺は車に乗って現場に向かった。何もあせることはなかった。俺はタイミングをつかんでいた。世界の律動を感じていた。車が俺を運んでいるのではなく、世界が俺を運んでいた。車は動いていないようにさえ思えた。俺はマトの中心に吸い込まれる矢のように目的地に向かっていた。俺は自分がやるべきことを反芻した。全ては完璧だった。

待ち合わせの部屋に着いた。俺は出来るだけ音を立てないようにドアを開けた。古い扉だった。部屋の真ん中に机があり、その手前の椅子に男が座っていた。男は微動だにしていなかった。生きているのかどうかも判別できなかった。今座ったばかりのようにも思えるし、もう何年も前からそこに腰掛けているようにも思えた。俺はゆっくりと机に近づき、やがて座っている男の横を通り過ぎた。男はなおも動かなかった。部屋の中に男が二人。俺は男の前に立って、男を見下ろした。そして一呼吸付いてから男の名前を読んだ。男は「ええ」と答えた。間違いない。今日これから俺が仕事を施す相手だった。男はおそらく1時間以内には訪れるであろう地獄を知る由もなかった。それが当人にとって幸せなのか、そうでないのか。俺はいつも考えていた。男の表情からは何も読み取れなかった。構わない。男の人間性はもはや世界では何の意味も持たなかった。俺は机のもう一方の側に置かれている椅子に座った。男と向かい合う形になった。静かだった。永遠に続く静寂などない。そしてその静寂がいつ打ち破られるのか、それは誰にも分からない。静寂の死の瞬間に最も美しい時がその姿を現す。俺はそのことにしか興味がなかった。部屋の温度が少し下がった気がした。
(2008.07)

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