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第十九回 根暗画面
前回、「復讐」などと些か思わせぶりな捨て台詞を残してしまったので、その説明をする。復讐とは言え、果物ナイフやスタンガンや火炎瓶や濃硫酸やカミソリレターやプラスチック爆弾や紅茶に目薬やポストにマヨネーズを使う訳では無いのだ(来るべき時が来たら使うかも知れないが)。要は「自分自身(だけ)の盛り上げ方」の問題だ。バンドを続ける事により、俺がその場その場を愉しめれば、ほんの少しでも鬱憤晴らせれば、そうやって「生」の高揚に向かう事が出来れば、長年に渡って俺に「人生はやるせない・生きるなんてくだらない・何から何まで味気無い・お前なんか無意味で無駄な人間だ」と植え付けた連中(勿論奴らはその行為に無自覚)への、実質的復讐になる。自分自身が「歯向かえる武器」になりゃ、中身だけでも鍛え上げりゃ、それこそ誰にでも実行可能・遂行可能な「復讐」の筈だ。ベタでポンチな猿相手なら、己の核一つしっかりしてさえ居りゃあ、充分に戦える。けれど、(言うまでも無いが)俺は未だ全然愉しめてない。まだまだ全然足りない。「いい思い」は。もっともっと、貪らないとな。
・・あれですかね・・・・名のある年寄りには(無差別に)センパイ超シブイ超ヤバイって尻尾振って、年下の子分には過去のヤンチャ自慢や「日本全国は勿論NYにも絆で繋がったマザーファッカー達が何人も居てクールなプレイヤー同士リスペクトし合ってフィーチャーして」やれる俺自慢して、バンギャルには「トラウマヒーロー」みたいなのをあざとく気取って、馬鹿が欲しがりそうな虚像提供してあげて、服屋のモデルなんぞを「わざと目線外した写真」撮らせてこなして、とりあえず周りに人がいっぱい集まりゃ殿樣で、チームでサロンで賑やかで楽しきゃいいと。ビール呑んでハッパ吸って処女食って気持良けりゃそれでいいと。理念や思想や悲しみなんていちいち深く考えてないで笑い飛ばそうぜ!と。人間それぞれ「全員」が尊い芸術家で家族だぜ!と。香水つけて英語に憑かれ、武骨自慢に終止した「無闇矢鱈のダサ墨」で、これ見よがしなメンチきりつつ、ペリー相手に同族アピール?外人ならばケツまで舐めて、モテるが為に表層模倣?入れ物重視の猿真似乞食いわく「これぞまさにハードコア!まさにデス!」・・・・そうやってさ・・いわゆる「ロックンロールパーティ!」なドンチャン騒ぎに明け暮れてたらさ、もっと毎日毎晩楽しくて「人生の春」とやらを満喫出来るんですかね。そもそもバンドなんて面倒な事しないでロック喫茶だか古着屋だかでタル〜くバイトしながらNANAっ子みたいな格好のピアスだらけ女相手に「ん〜、そうだね。今一番注目すべきは関西ゼロ世代だね。あの辺はマジヤバイよ」とかほざいて間接照明の煙たい部屋でノイズかけながらセックスしてノンポリシーのラリラリ「自称ロック好き・サイケ好き」連中とツルんで(しまいにゃ)取り込まれて、創作も表現も葛藤も無く、天然「ぶって」只生きて、そっちの方がずっとずっと安楽なんだろな。間違い無く。
結局、そういう「ストーナー」人種に、こういう俺は、負けてんのかな。だとしてもだ。たとえ負け続けても、壊れる事無く死ぬ事無く、「残って」やるつもりだ。「敗残」だ。「廃残」では無い。この二つは微妙に違う意味合いでとらえるべきだと思う。敗残とは「戦いに敗れても生き残って居る」事。廃残とは「心身ともに衰え損なわれおちぶれて生きる」事。これが同じ意味?イコール?否である。おちぶれてはならないのだ。だがしかし生き残ってやるのだ。その風景は、そんな画面は、やっぱり暗くてそりゃもうひどい有り様なんだろうけど。
中学生棺桶は、2004年の二月から2005年の暮れまで、高円寺リッツ(現クラブライナー)というハコで、「根暗画面」なる自主企画を頻繁にやらせてもらっていた。何故高円寺リッツだったか?それは、当時俺の住んでた風呂無し\25000のアパートから一番近距離だったから(リッツまで徒歩二分)だ。それ以外に大した理由は無い。あえてもう一つ挙げるならば、ここのスタッフの一人が「バンドの音楽だけで無く人間そのものにもシッカリ洞察を働かせる」タイプの思慮深い女の子で、我々に優しくしてくれたからだ。「根暗画面」という企画名は皮肉で付けた。ガモウひろしの読切作品「根暗仮面」をもじったものだ。この漫画がまた皮肉の効いた救いの無い悲喜劇で、手短に紹介すると、「本質追究仮面」という時代錯誤で醜い容姿の宇宙人が居て、その「本質追究」の名のもとに、世の大衆(の浅墓っぷり)に体張ってクドクド提言して説教して回るもんだから、まぁテキトーに面白がられ、そこそこ名が知れ渡る。と、そこに対抗するかの如く現れたのが、「楽しけりゃいいじゃないか仮面」という軽薄を絵に書いた様な時代の装い(奇しくも昨今流行りの刈り上げ頭だ)の宇宙人。彼は、いちいち細かい事にこだわる「親父臭い」本質追求仮面とは逆に、流行を纏い、時代のチャラさに同調し、馬鹿なヤングを擁護し、テキトーにあおり(今で言うアゲアゲってやつだな)、完全に味方につけ、その大勢の前(プロレスリング上)で「何が本質追究だ?要するにネクラだ!お前は只の根暗仮面だ!」的切り捨て方で、本質追究仮面の存在を全否定する。ヘラヘラ盛り上がる観衆のネクラコールを浴びてフラつきながらの「やめろ!何ですぐ集団行動に走るんだ?!」という訴えの後、遂にはグッタリ動かなくなってしまう本質追究仮面。その体に「根暗」と書かれた紙(勝訴みたいなアレ)を文字通りレッテル貼りして読者側に振り向き、「そうだよね?楽しけりゃいいんだよね?諸君」と笑う、楽しけりゃいいじゃないか仮面。そんな勝利者の笑みが、最後のコマ(ちなみに最初の扉ページの絵は、追い詰められコーナーポストに倒れ掛ってる「薄汚れた本質追求仮面の後ろ姿」)である。俺は小学生の頃にコレ読んで「うわぁ・・・」ってなったんだよ。「こんなんで終わっていいの?」と。そして二十歳を越えてふと思い出し、身を持って知るに至るのだ。つまり、俺が集めたどんな「中身ある」バンドも、そして自分のバンドも、いわゆる「単なる珍しもの好き」「キワモノロックファン」そこらの「無駄に年だけとったチャラチャラ大衆」には、その誤解と偏見によって一瞬で飽きられ、笑われて忘られるのかも知れないと。すなわち、「根暗画面」とは「本質追究画面」につけられた(つけられるであろう)レッテルなのである。誰にケチつけられる前に、俺がつけてやったのだ。「どうせそうなんだろ?」とな。「俺への誹謗中傷は、誰より先に俺自身がやる。誰より俺を把握しているこの俺がだ。したり顔の評論など何者にもさせてなるものか。この俺に対してだけは!」という、鉄の姿勢(太宰治に教わった数多くの内の一つです)。ずるいっちゃずるいけどね。
余談だが、当時小学校上がりたての広末ながさく(棺桶のメンバーであり俺の実弟)は、臨機応変マンとスーパーボーヤケンちゃん(両作品共に既にこの時、とっくの昔に連載は終了している)を読んでガモウひろしにファンレターを送った。すると何と!手書きのイラスト(ちゃんと色まで塗ってある)付きの返事を早々によこしてくれたのだ。広末の本名に「カッコイイ名前だね」とリアクションまでしてくれて、「お手紙ありがとう。りんきちゃんケンちゃん同様ラッキーマンも宜しくね!」と添えられていた。広末は、頭髪と眉毛を全剃りしてGGAllinを模した口髭をたくわえた今でも、その葉書をラミネートしたものを宝物として大事に大事にしまってある。だからと言う訳では無いが、ひろしちゃんは素晴らしい漫画家だ。また彼の漫画が読みたい(俺はりんきちゃんが本当大好きだったし、多分死ぬ迄風化せず好きなままだと思う。モニャラペヘレペホロロビッチアガペーケチョンパスタイルに変身してみたい・・俺)。我ら兄弟、陰ながら応援してます。
今週のおかず三品: あの海に/山崎ハコ YOU NEED A HERO/PAGES EYES WIDE OPEN/KING CRIMSON
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