第二十九回 縁切りを延期すれば凶

我々中学生棺桶は、六月の十三日に、いつもの練習スタジオでですが、五曲程録音しました。ええ、そうです。あの太宰治が、当時付き合ってた戦争未亡人の黄色いヒステリーを拒否出来ず、「そろそろもう、いいだろ」的に観念して、玉川上水に飛び込んで死んだ、その日です。新聞雑誌自称文化人らは当然の如く、情死だ心中だとしたり顔で決めつけ、わめきました。けれどもそれは、違うんです。だって、情死の訳が無いのだ。このカップルの片方には、情などありゃしないんだから。愛情なんて無いですよ。恋慕の情すら無かった筈だ。けれども、女は誤解した。女は男の傍で、男の知人の前で、これ見よがしにかいがいしく、スタコラサッサと雑用をこなした。男の胸に情が唯一あったとするならば、その迅速で手際の良い看護婦業務への「どうもありがとう」の感謝の情、その位だろう(感謝すら彼がしてたかどうか、疑わしい所だが)。死の直前、家を出る前、男の中にあったのは、「もういいや」の諦めに過ぎないのだ(しかしそれも、酒の力を借りての「酔った勢い」による諦めである)。情死では無い。キッカケこそ、男の「いつもの口癖(芸風)」と「泣き笑いの表情」からだろうが、死へと実際に「無理矢理」引っ張って、力まかせに引きずり込んだのは、明らかに女の方である。背中を押して決行させたのは、誰が何と言おうとこの女だ。この二人のこの自殺は、拒否の能力まで衰弱してしまった不健康男と、鈍感のくせして図々しい動物の様な女の、心の疎通の一切無い、可哀想でどうしようも無い、残念な「事故死」である。か細さと図太さで、そのまま、弱肉強食の縮図である。それ以外に、大して意味など無い。革命じゃない。恋じゃない。二人に絆は無い。運命と言ったらそれまでだが、絶対に美しくない。無惨である。あの女の図太い執着・無神経な独占慾・自覚無き勘違い性分・その他諸々のヒス全て、決して美化出来無い。したくない。俗物だ。現代にベタに増殖しまくっている「そこら辺に居る馬鹿女」と、本当に大差無い。周りも見ずに思い上がった、いやな女である。田部あつみ(最初の偽装心中相手。太宰を残して絶命)とは違う。彼女は18歳と若くして、「機転のきく美しい女」だったという。尊敬に値したという(単純に写真だけ今見ても賢そうで、なかなかの愛嬌の「いい女」と受け取れる)。だからこそ彼は彼女を不死鳥として、小説の中で蘇らせようとした(残念な事に、その作品は未完に終わっている)。しかし、富栄は違った筈だ。その位、俺にだって解る。富栄は三十路手前で、にも関わらず、みすぼらしい程のヒス女である。太宰治と「最後の」ランデブー・・・・その「暗い名誉」を何とか勝ち獲った女・山崎富栄は、本当につまらない女だ。だった筈だ。俺は彼女を、けむた顔で侮蔑する。太宰がずっとそうしていた様に。彼女の日記の初版本(おそらく増刷はされていない筈だ)を、高い金出して読もうとする人も居るだろう。だが、それはやめた方が賢明だ。損をするからだ。二十歳位の頃に親戚に借りて、その虫食いのページを開いてみたが、馬鹿馬鹿しくあつかましい内容でゲンナリした憶えがある。こんな日記じゃ、参考に物語も書けないだろう。そうも思った。その点で、太田静子(名作・「斜陽」のモデル。太宰は彼女に日記を借り、それを元に斜陽を書き上げた。その日記目的の交際ではあったが、太宰の恋心は、いつ頃からか短い期間にせよ、ちゃぁんと存在し、それが仇となってか妊娠までさせてしまう)以下である。

太宰治から学んだ多くの内の一つ、それは彼の様に死なない為にも、決して彼の様にならない為にも、「知り合った女(男でもだ)から唾棄すべき臭いを嗅ぎ取ってしまったなら、その場で即座に絶交せよ」という事だ。嫌な話だが、悲しい話だが、この現世では絶縁状という「刃」は、幾つ持って居ても足りない。そしてその「しっかりと研がれた刃」は、打算無く、処世の選択無く、毅然とした態度で、所々で使いまくった方が良いのだ(それを持ってるのに使わず、代わりに下心ありきの「おべっか」を披露・・など言語道断である)。それを叩きつけるタイミングを逃すと、その場以上に後々苦しむ、またもや!嗚呼!自分自身。凄く凄く苦しむそこでの俺は、本っ当、ざまあみろという感じだ。「後悔」という妖怪は「怠惰」という妖怪の次に、強大である。自己嫌悪・笑えない程の不信に繋がる。俺は何故、あの日あの時あの場所で何度も何度も、こんな俗物を許容してみせたのだ?と。ささいな瞬間でも「いい気分」にさせてどうする?敵を!と。俺は、俺だけを笑わせるべきなのだと。何故なら俺は、俺だけのコメディアンなのだから。俺の為の、俺のコメディアンなのだから。自虐はやめだ。遠慮はやめだ。上下左右で列を作ってやがる「自分以下の俗物」を、自分が死人になる前に、ちゃんと撃て。死ぬ前に、ちゃんと刺せ。知らせてやれ。刃を使って。鏡を使って。ゲロを使って。糞を使って。有意義に暇を潰せ。早く。生きてる内に早く。お前のそいつと「サヨウナラ」。さっさと済ませ「サヨウナラ」。今この場を借りて強く薦めます。絶交せよ。今の俺みたいに苛苛腐腐チクチク、したくないなら。

自分が「地に足着いてない」のを年齢や職業のせいにして、その「社会的生活者の看板欲しさ」という大義名分を誇示する事で、「自分だけを可愛がってくれる大好きな社会人の彼と家庭の幸福いつまでも育てて行きたい」というデレデレの本心を必死に隠蔽し、(自称)少女パンクバンド活動をやめ、「お嫁さん」になる女がいる。いわく、「この歳でアルバイトなんかしながらじゃ、バンドで何を唄ったって駄目。危なっかしいと心配され面白がられ笑われるだけ。まともに評価されない。だから、結婚してシッカリ地に足着けて社会生活営んで、それで40過ぎた位になってからパンクバンドやるのが、一番かっこいいと思う」・・・・すっかり十八番になったみたいだな。元・少女パンクが嘘の様なカモフラージュっぷり。よくもまぁそこまで寝惚けた事を。「世間の犬」の名刺の如き発言である(このコラムの第五回・第七回参照。あの、オーケン教信者の「豚っ鼻お姫さま」である。俺の友人が先日、奴とバッタリ遭遇。尋ねてもいないのに近況をベラベラ話し始めたらしい)。悔しまぎれの言い訳・最後っ屁なのだろう。が、相変わらず足りないね。何が足りないか?自分が豚だという根底の「自覚」である。精神薄弱な彼氏(何もかも言いなりだから)、そんな旦那の安定した収入に依存(彼は無趣味で下戸で服も買わないので毎月生活費は余りまくりで、全てが豚女には好都合)して、その生乾きの背中にガキみたいにおぶさり、ぬくぬく守られて暮らすのは、果たして社会的に自立した生活だろうか?バイト暮らしで自活しながら思考錯誤するバンドマン達の何百倍も恥ずかしい、「豚小屋の日々」ではないだろうか?何故!何故に己の「甘え」から目をそらす?わざとだろ?それともまさか本当に見えてないのか?勘弁してくれオヒメサマ。開き直る前に、テメエ自身を一度は責めてみたらどうだ(開き直りも芸の内ってか?)。お前のバンド仲間が次々にお前に愛想を尽かし、交流を敬遠し始めた理由を、お前は未だ御存知無いか。言ってみれば原因は只一つ。→お前の「豚気質」が見事に露見したから←これだけだ。お前がヘタレと付き合い始め、その「初めて」のピンクのぬるま湯に阿呆みたいにのめり込み、更にそれにあぐらをかき始め、尚且そういう自分を隠そうとし、残念ながら隠しきれずにそのままダダ漏れする事によって、お前の本性は明るみになった。偽ってた分、みっともないな。突っ張ってた分、みすぼらしいな。痩せて巨乳が強調されようが駄目だ。豚は豚だ。恥じるがいい。四十歳過ぎてバンド?嘘だね。やんないだろ?どうせ。このまま小綺麗なマンションでハメ倒して着床完了して、フッツーの家庭が出来る頃には、感性も発想も今とは絶対に違う。世間様にびびって年相応の道筋選んだんだから、そこにはバンドなんかとはかけ離れた「年相応の趣味」が、お前を待ってる。お前もそれを当たり前の様に受け入れる。そこらの小娘は間違い無く、そのままそこらのオバチャンになる。それだけだ。つまらない。つまらないよ。そろそろ終わろうか(このオヒメサマ話するだけで、いつも嫌な気分になる。本当に厭だ。そうして憎悪が何より勝り、また結局こんなにまくし立ててしまう。しまった)。こんな事あらためて言うのは、凄ーく抵抗ありますよ。が、この際仕方無い。ええとね、パンクに必要なのは定職や社会的地位じゃないですよ。彼氏や彼女や家庭や金でもないですよ。音楽の教科書に載ったりして世代を超えて認知されて、老若男女に歌い継がれる事を望むのか?そんなビートルズ色のバンドか?パンクバンドは。否!である。地に足?だったら着いてるぜ?俺はシッカリ着いてるぜ。今のままでも完全にな。但し、「敵意が」だがな。地に足着いてドッシリ構えるは、「反俗という敵意」だ。しかしな、それだけで可能な筈なんだよ。パンクスとしての生活も。パンクバンドの継続も。それによる世間様への反逆も。やらないだけだ、そこらの女は。やれないだけだ、そこらの女じゃ。

今週のおかず六品:
第二理科室/タイムスリップ
あいまいtension/バービーボーイズ
I'LL FOLLOW THE SUN/SHOCKING BLUE
SUNNY AFTERNOON/KINKS
煩悶/奇形児
DUST ATTAK/PUNKU BOI

 

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