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第三十七回 寒い安息日
已然として、淡々とした日々が続いています。毎日は穏やかです。だもんで、あらためて話したい事など、訴えたい事など、ましてや「最近の面白エピソード」なんて、今週もありません。無いんですよ、本当に。少なくとも「この場で話す事」は、今は無いです。かと言って、デッチ上げてもしょうがない。それ以前に、そういう能力が自分には欠けてますから。幾らオシャベリって言ったってね、「無」からべラべラは出来ませんや(や、別に現在が「無」って訳でもないんですが)。特に何も無いんですよ、本当に。ものを作って唄って呑んで、売って晒して喋って休んで、小銭稼いでしごいて想う・・・・そうやって、静かに暮らして居るだけです。けれど何と無くボンヤリ過ごしてるつもりは更々無く、「感覚を研ぎ澄ませ」とばかりに神経を張り巡らして、ウロチョロしてクンクンしていちいちチマチマ考えて年を重ねた結果、少しの風でも震えおののく「散りかけの葉っぱ」を地で行く程に(こう見えて実際そうなのである)、デリケートに好きして・・・・デリケートに嫌いして(男の子と違う女の子ってのは、「スキ」と「キライ」だけで「フツー」が無いんですよ。だから俺は女の子なんですよ)・・・・しまう自分なので、些細なアレコレでも非常に敏感に反応.認識してしまう訳なんですが、近頃は認識しないんです。そこまでの「波」を。相応の「ヒリヒリ」を。特に何の事件も、きっと起きていないのである。別にこれといった大きな不快も、ここ何日かは無いのだから。残念ながら、無いのだから。そうですよ皆様、俺は毎日そこそこ「愉しく」やってるのである。そこそこ。何とか。最近は。
古い友達(永い友達)や新しい友達のせいもあるだろう。当然、季節のせいもあるだろう。冬は穏やかだ。感情の浮き沈みすら、静かだ。想い出の蘇りすら、柔らかだ。企みの成功も失敗も、安らかだ。頭は落ち着き、体も落ち着いて感じる。人との距離(「距離道楽」については過去のコラム参照)にも、寛容に(幾らか査定が甘く)なる。冷たい空気は(その匂いも)、邪魔ではない。痛くない。ちっとも苦しくない。取り巻いて居て欲しいとさえ、むしろ思う。この「真冬」は、なんて滑らかなんだろう。寒い?自転車でもシャカシャカ漕げば、少なくとも高円寺中野間ぐらい突っ走れば、もうポカポカじゃないか。と言うか、着れば済む話じゃないか。重ねて重ねて着太れば、それでも寒いとは言えない筈だ。簡単だ。ところが、夏はそうはいかない。どこまでも不快だ。脱いでも無駄だ。焦っても急いでも(むしろ焦れば焦る程)駄目だ。たとえ全裸で外へ出たって、猛暑の圧力は消えも衰えもしない。太陽は笑う。チャラ男もチャラ子も笑う。全力で色恋に励み、心から「満喫」して、笑う。笑いやがって。チクショーめ。当然、夏の自分は毎年!毎日しっかり!苛苛している(基本的に、冷房ガンガンの場所に避難しっぱなしです)。嫌な目をして嫌な顔して、嫌な肌で嫌そうな表情で嫌嫌嫌嫌動いて、同じ声で何度も何度も、不平不満や呪詛の言葉を、憎々しげに吐き続けるのである。「終わりやがれ」と。「みんな、さっさと終わってしまえ」と。友達が居ようが恋人が居ようが(その各々からどんなあからさまなセックスアピールでにじり寄られようが)、一足飛びで成長したその終末思想ゆえ、ゆるまない不機嫌。譲らない偏屈。止まらない汗、鬱陶しい雰囲気、きりが無い、大嫌いだ。潔癖症なのか?俺。まさか、そんな事ァあるまい。どの面下げて、そんな。・・・・まぁ兎にも角にも、冬は優しいですよ。今の職場に「当店のオススメ本コーナー」みたいな棚が設置されてまして、そこのスペースを自分と気の合う同僚(若干二名。その内一人は弟である)で私物化して頑張って手書きのポップまで添えて、昔の山本直樹「あさってDANCE」とか、男の中の男.小林よしりんの「新ゴー宣」とか、どおくまん作品等を諸々、せっせとせっせと並べてたんですよ。時流とは無関係な「ちゃんと面白いもの」を、どっさり「オススメ」してたんですよ。バイトながらも店の為に出来る事ですよ。中野のお客さんに飽きられぬ様に、と。そう、何より中野らしく、と。流行行進とは別世界を作るのだ、と。そこへ新しい店長が最近になって(最近ですよ?今更ですよ?)、その我々の「本気の課題図書」ほぼ全部を独断でさりげなく取っ払い、そのコーナーにドカっと「矢沢あいコミックス」を「各種取り揃えて」陳列し始めたんですよ。・・・・・・でもね、最早そこまで腹は立たないんですよね。それも多分、冬だから。真冬のせいで寛容になってるから。それにさ、どうせあんなもん(NANAっ子ブーム)は一過性なんだから、シャンプーやスキャットマンやt.A.T.u.や三木道三やエンタの神様芸人みたいに過ぎ去れば、ベリーエイプなゴミヤングにも読み飽きられれば、店長も即座に片付けるだろうしさ。そしたらまた、いつかまた必ず、ギッチリ並べ直してやる。キン肉マンの初期(超人オリンピックまで)とか、手塚治虫の暗黒漫画「アラバスター」とか、田中圭一の「秩父山」とか、と言うか田中圭一のド下ネタ作品は全部、ズラーッと並べて自信を持って大推薦してやるからな。※あ、うちの店「アラバスター」も田中圭一も一冊も置いてないんだった・・・・。「激烈バカ」も置いてないしな・・・・うちの店。岡田あーみんも無いし。丸尾なんか別にいいからさ、それだったらむしろ日野日出志大先生を置けよ。ひばり書房のやつ置いてくれよ。そしたらその棚、一気に神々しくなるぞ〜。志村貴子の「放浪息子」も置いて欲しいな。萌えとかじゃなくて本当可愛いから、ほぼ全キャラ愛しいから。あと最近だとカラスヤサトシ(の「カラスヤサトシ」)!凄い面白いぞ、この人。凄いリズム感。四コマ漫画なんに。凄い才能だと思います。愛しい。いいこいいこしたい。何で置いてないんだようちの店。中野の店舗なんに。つっまんねえ店。
話無いとか言いながら、結局ここまで長々とやってしまった。何なんだろう、俺のこの「笑わせたい気質」は。サービスか。良いじゃねえか。何が悪いよ、サービス。サービスが悪いんじゃないんだよ。サービス「ばっかり」が悪いのだ。それは何より、体に毒だ。芸は身を滅ぼす。いや、己の芸への「依存」こそが、そいつ自身を半殺しにするのである。そして実質的に「殺害」するのだ。なだらかになだらかに、確実に、早死を招く。太宰治の様になりたいか?林由美香の様になりたいか?ブライアンジョーンズの様に?あの手の「矢印」に従い、死にたいか?嫌だ。俺はああはなりたくない(なれないしな)。俺は溺れたくない。何にも溺れないままで、正気を保ちたい。何が狂気だ。何が弧高だ。何が芸術だ。けれど、サービスはしたい。たまにはしたい。ギリギリで、あげたい。断っておくが、「されたいから」ではない。欲しけりゃ俺は、もっとあからさまに「おねだり」するだろう。単純な損得ではないのだ。「もてそうだから」などと、これっぽっちも思ってない。俺の「サービス」は間違い無くもてない。その事も立派に自覚済みだ。
今週のおかず五品: Alberto Balsalm/Aphex Twin かんかん照り/井上陽水 INTO THE VOID/BLACK SABBATH BIG IRON DOOR/charles manson SLICK CITY/charles manson ↑ページのトップに戻る↑ |