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第五十六回 わたしはこれで逃避をやめました
人の日記を読んだ。刺激を受けた。自分ももっと「はっきり」言わなきゃなと、思った。もっと強く責めていこう。自分にも。相手にも。出してみせよう。御覧の皆様全員に。場所も選ばず。分別付けず。
日記を読んだのだ。ブログではない。頭の足りない人の為だけにわざわざ断っておいてやるが、「これ」もブログではない。猫も杓子も・・の勢いで、文章力もユーモアセンスも無いが暇だけは余りあるノータレント(何の才能もなし)な寂しんぼ大衆の間で大流行中!の、いわゆるブログの最大にして唯一の「目的」の為に、必要不可欠なあの「装置」・・アレが設けられて無いだろう?あの「装置」あっての流行りモンだろ?いわゆるブログもブロガーとやらも。要らないよ、我々にゃ。少なくとも我々の「狙い」から考えたら、邪魔くさい「装置」だ。煩わしい。要らぬ。(※自分のこのコラムは、人に考えさせる「知的娯楽」・人を笑わせる「痴的娯楽」だと思っています。「抗う為には敵を知れ」「敵を攻めるより敵の神を攻めよ」の持論の下、いつの間にか、「人間性の透視」という「意外に正確だが厄介な能力」が身についてしまった男が、それでも何とか友達を楽しませたくて、同意見で群れずにちらばる「元いじめられっ子達」「知覚の徒」への精神肯定を試みたくて、遠くから一方的に放つ「娯楽」である) だって要らないだろ?顔も名前も素性も明かせないくせに一丁前に何かと「参加」したがってるボウヤ達(何の覚悟も持たなくて楽チンな小ずるい弱小ネット依存連中)をいちいち相手にして「あげる」なんて、どう考えても時間の無駄だ。労力の無駄だ。参戦者でもお客さんでも創作者でもアジテイターでもない(「敵」以下である)ボウヤどもを、わざわざ受け入れて「あげる」のは、只のマゾだ。只のヒマ人だ。無駄な窓口。無駄な扉。ネット上での友探し・友作り・論争モドキなんざ、自慰にも劣る。マスかいてるだけの方が、どんだけマシか。素性も知れない匿名軍団なんかと、誰が友達になれるかっつーの。仲良しだなんて錯覚すら不可能だ。「ごっこ」が一番、退屈である。 勇気を出して覚悟して行動を起こした相手にしか、俺は勇気を出して窓を開けたくない。つまりは、そう言いたいのだ。 「そこ」で威張ってるだけのくせに何だ!と。「そこ」から離れられないくせに何だ!と。「そこ」から様子を伺う事しか出来ない己・流行ってるからって疑いも無く便乗してる己・楽チンだからって時流に乗っかる己を相手に、まず自問自答・自責の念にかられて、全てにおいてわきまえろ!と。「外」に出ろ!と。「外」に出て探して、顔を晒しながら探して、そして見付けなさい!と。 だってさあ、本当に伝えたい事があれば、直接話する為にちゃんと会いに来るでしょう。気になったんなら試食しに来るでしょう。やっつけたかったらやっつけに来るでしょう。欲しかったら奪いに来るでしょう(俺は「名無し」なんかじゃねえから顔も出すし、出没場所も出没日時まで明かしてるんだからな)。 お友達も恋人も同志も、てめえの足でちゃんとツラ見て探そうや。我々はそうしてますよ。ちゃんと会って喋って選んで、それからきっちり遊ぶとしようや。我々はそうしてますよ。と言うか、正気の人間なら誰だってそうじゃないのか?正気の人間ならな。神経が腐ってないならな。 ビビってるだけの雑魚は、ダルがってるだけのエテ公は、(お部屋にこもっててもこもってなくても)そのままなら一生、何をどう言い張っても我々以下だぞ?いいの?いいのね?んじゃ一生、「つもり」で居なさい。中学生棺桶とかいうバンドを、見下ろせている「つもり」の無駄年寄りちゃん達。鏡に映ってないのか?お前のその、不細工な虚栄。「こういうのが大人。自分は世慣れた立派な大人になれたんだよ」という、曖昧な感触。だらしなさの本質。でっかい図体したお前の、ちっさくてセコい(且つ正確な)逃走。お前が上手なのは「カモフラージュ」だけ。誤魔化し誤魔化し、コッソリ自覚して決してそれを白状せず、ずるいねー。弱いねー。「素晴らしさ」の全く無い、弱さ。環境に甘えてる、許されてる、お前は幸せ者。ちゃんと見つめてみろ。そして、唄ってみろ。突き詰めてみろ。そして、ちゃんと身を削れ。 話はそれからだ。
人の日記を読んだのである。そして刺激を受けたのだ。
今週のおかず三品: LITTLE
JONNY JEWEL/TELEVISION(ライブ) ダメージ/バービーボーイズ いつか/早川義夫
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