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第五十九回 似非パンクは結局、常識(教科書に載ってるヒール)の言いなり
ホラー風味(だか寺山だか丸尾だかゴスだかポジパンだか何だか)の「お揃いメイク」で、臆病でキャラの立たない貧相貧弱な己をチマチマと隠蔽し、「キレると怖いぜ!狂気の俺!」を気取ってこれ見よがしに暴れ、物を手当たり次第に破壊する事で人に嫌われ、そういうのを「パンクだ!」と大威張りで誇示する一派・・・・いじらしくも必死だけど、嫌い。 その元ヤン気質抜けきれぬサロン(徒党)が自ら尾ヒレつけてバラ撒く「悪評」や「伝説」とやらを鵜呑みにして、追従しながらトンガリキッズぶってるサル頭のガキども狂信者の、ブランド盲信っぷり(思索の浅墓さ)。非・生産っぷり。つまり、パンク精神の欠如。気に入らない。 本っ当に虫酸が走る。昔からだが最近つくづく、見る度ゲンナリ。知る度ガッカリ。しまいにゃイライラだ。
心底思う。悪い意味で、くだらない。 反逆性を掲げたくてベタに飾ったルックス。ところがどっこい、昔ながらの形式に従っているだけの為、「抗ってる感ゼロ」の反逆児スタイル。他の何よりも力を注ぐ、物質的破壊のアピール(壊そうが燃やそうが誰からも怒られない廃墟で自分と記録者以外は他に誰も居ないのにギグなどと称して、そこで撮ってもらった「公開を前提とした」ヤンチャ写真をホームページ上で何枚も何枚もひけらかしちゃったり、な。「ほら凄いでしょ?狂ってるでしょ?みんな見て下さい!物を壊して暴れるボクを!」ってか)。実際には何も壊せてない。現実として何の火も付いてない。何も生んでないからね。何も切り開いてないからね。何にも逆らってないからね。 そもそも、旧世代の表現に反抗する事から生まれたのがパンクロックである。そもそも、それが本質だ。「前例なんぞに囚われてたまるか」と。「センパイ?関係あるかボケ!」と。基本的には、それが筋だ。 そんな道理も知らないのが、センパイの「言いなり」の追従型ファッションパンクキッズなのである。一生「上」に憧れてるだけ。誰かさんになりたいだけ。誰かさんに少しでも近付く為の、必死の「物真似放蕩」・「焼き直し暴動」の繰り返し。所詮は恋人次第のライオット。どうせ阿呆なバンギャとのセックス狙い。スターリンの曲解で(はき違えて誇らしげに自省せず暴れん坊アピール)、所詮は無内容な昭和ビジュアル系趣味の、本質隠蔽カモフラージュ人間(遠藤ミチロウと、そのフォロワー・・・・と言うよりエピゴーネンである「懐古主義エセパンクス」との落差・格差は、現在も進行系のミチロウ氏の功績によって、年々大きくなっている)。 どこをとっても、尊敬に値しない。何一つ評価出来ない(誉め称えて持ち上げるのはキチガイ商売でサブカルブサイクとバンギャを集めたい「企画乞食」「無能中年」の類だけ)。びびらせたいだけなんだろうけど、びびる要素すら無い。ギャグレベルも低い(元ヤンは全員ユーモアセンス無し)。言葉選び・言葉遊びに「ギラリと光るもの」を感じられない。ゆえにつまらない。ひたすら退屈で、ひたすら痛々しい。実にナンセンス。 連中は、どんなにトゲトゲロンドンな格好しても、ドロドロ着物を羽織ってみても、結局はシンナー缶でも噛じってんのが一番お似合いな、所詮は単なる元ヤン止まり。
ここで今回もギンギンの怒正論としてキッパリ断言するが、物を壊さなきゃ周囲に嫌われない様な人間は、「なんちゃってパンクス」なんだよ。当然だ。物質的破壊を繰り返してりゃ何処の誰だって容易に煙たがられ、嫌われる事は可能なんだからな。 言い方を変えてみようか。物を壊しまくって、それで「やっと」人様から嫌われるなんて、パンクとしてはインスタント過ぎやしないか?そんなもんペーペーじゃねえか!と、俺は言ってんだよ。 自分(或いは自分の所有物)をめちゃめちゃにするならまだしも、だよ?それの方がどんだけマシか。自分で自分「だけ」を台無しにしてみせるのは、これは色んな点で好感持てる。(太宰治に擦り込まれたからかも知れない感覚であるのはいなめないが)観ていてグッとくる。自虐も自傷も自爆も自滅も、やっぱりマゾには違いないだろうが、そういうマゾの鑑賞は娯楽に値する。立派なエンターテイメントとして成り立ってる上に、真剣で大真面目だが「どうあがいても行き止まり」な所も、「後々悔いてグッタリしてる男」に個人的に弱い俺としては、惚れ惚れするのだ(こういう感覚は太宰ファンの「女」に見られる駄目駄目な惚れっぽさだと、自分でも思う)。 けれど、他人(及び他人の所有物)への暴力自体に依存してすがりついて、「周りをびびらせ嫌われて怖がられて一目置かれたいだけ」という真意が露呈してしまっている(他に能は無い)バンドは、要するに「(パンクロックが生まれた当初から一貫してパンクスの「怨敵」であると言っても過言ではない)マッチョ」であり、そんなマッチョニズムバンドのライブも音源も写真も全てが最早「ちんぴらコント」であり、ヤクザ(暴力団)に憧れる元ヤンの「けなげなポーズ」に過ぎず、無自覚で愚鈍でドン百姓的な「クラスのイジメっ子」そのものである。 つまり、雑魚キャラなのである。ご自身は猟奇殺人鬼.シリアルキラー・マーダージャンキーのつもりで猿芝居かましてるんだろうが、実際はそのテのホラー映画で一番最初に殺されるタイプである。ケンシロウ登場直後にひでぶするタイプである。見てくれと口調と振る舞いで図々しく意気がって、すぐに主役にのされる(長いものにはすぐ巻かれるので実は世渡り志願者。イコール、大多数の一般大衆)「THE・田舎の不良」。そんなチンカス坊やの群れに、パンクスが居るわきゃない。居てたまるか。
「嫌われる」という事に関して言えば、本当の「ならず者」・パンクスというのは、あからさまに大暴れするまでも無く、只そこにいるだけで気持悪がられ、喋るだけで煙たがられ、笑うだけでドン引きされ、本心を示すだけで白い目で敬遠され、まさしく只そこにいるだけで当たり前に、「自然に嫌われる」ものなのである。物壊しなんぞせんでも、それ以前に人間自体が、人格や信念思想が、リアルに「社会生活不適合」。深刻に明確に「反・処世術者」。流行や体育会系の「ツナガリ」には一切無所属(いかなるサロンも全否定。つまりどのジャンル・どのシーン内の「世渡り上手」も否定)のまま、信念・姿勢を崩さないで呼吸してるだけで、見事に芸術破壊。そうやってバンドも恋愛も生活すらも(結局は)自滅させてしまう男達、ポーズゼロ・カモフラージュゼロの「無所属の根暗パンクス」を、俺は何人も知っている。彼らは真似されない。彼らは尊敬されない(俺は愛してるし断固支持するが)。ヘラヘラした後輩軍隊(さみしがり屋グルーピー)を作って連れ回して悦に浸ったりなど絶対にしない。 あえて極論を言うなら、コピーやクローンやエピゴーネンを「量産」してしまった時点で、真の無頼漢ではないのだ。(それが徒党である限り)いかなる徒党にも、後をついて来られてはならぬ。たとえごく少数の個人個人に好かれたとしても、その他大勢には露骨に嫌な顔をされ、鼻をつままれ、忌み嫌われ、距離が出来るのが当然だ。特に「暴れん坊アピール」をしていなくても、だ。 決して阿呆どもからモテそうにない事(大多数の処世術者連中にとったら「いちいち言わなくてもいい」様な事)を言い、決してモテない(流行世間からチヤホヤされない)「混ぜ方」で、自身の内の先天的美意識と後天的に培ったセンスを組み合わせ、産み出し、吐き晒してみせるのだ。 そういう人達だけが俺の周りには居るので、本当に嬉しい。誇らしい。数少ない同志の皆様、これからも末長く、宜しくお願いします。 逆に、こうやって日々俺が堂々と示す「好き嫌い」を、真っ当な「バランス感覚」と受け取れない鈍い奴ら(つまりファッション人種とそうじゃない人の区別がつかない「人間性に不勉強」なエテ公ども)は、今後も俺の傍には寄って来てくれるな。俺は遊び人で、けれど頑固で、くどくて小うるさいから、日和見主義者や快楽主義者やパーティピープルには(俺と付き合ったって)何のメリットも無い。金輪際、近寄るな。よそに行け。よそでやれ。糞真面目にふざけながら糞真面目に戦ってる者に対して、一切戦わぬまま高み気取って、そのまま楽チンな価値相対で大人ぶって冷笑してりゃいい。現実逃避で、安易な快楽追っかけてろ。目障りだから、俺に見えない所で群れてろ。耳障りだから、ビジュ箱ん中でだけお祭りしてろ。ロリロリゴスゴスの原宿バンギャとコスプレ目当ての外人腐女子だけを相手に、空虚なJROCKビジネスやってろ。
いつの世にも何処の国のバンドにもいる、見事に整列してる、その自覚も無い、スカポンタンどもめ。 笑ってやる。歯向かってやる。抗ってやるぞ。
今週のおかず五品: BAD
PENNY/BIG BLACK CHEAP NIGHT OUT/RAPED POTENTIAL
SUICIDE/WIPERS 楽園のDoor/南野陽子 ロックマン2のワイリーステージ1の曲(←ファミコン楽曲史上に残る、Aメロ・Bメロ・リフかぶせ・大サビ有りの秀作。聴いてると非常に闘志が湧きます。しかもせつなくもある)
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