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第七十七回 君よ、素直であれ。俺よ、常にその先で地団駄踏め!
自宅でも誰んちでも同じ。浴室に入り、泡が入らぬ様両目をつぶって頭を洗っている時、嫌な事ばかりを思い出します。必ずと言っていい程スーッと浮かんでくる「それ」は、決して「遠い思い出」の類ではなく、つい昨夜自分が口走った「言う必要の無かった余計な事」や、つい先日自分がしてしまった「しない方が良かった余計な事」であり、つまりは「後悔」の念なのです。 だから浴室は(目をつぶった途端)隠鬱で、灯り関係なしに薄暗く、実にじめじめした空間だと思う。きっと元々風呂場とは、自身の一日の失敗・失態を独り静かに見つめ直し、受け入れて悶悶とする場所なのではないか…とさえ。思い出し、思い返して、その恥ずかしさと静寂に耐えられず、低く唸ったり、「あああああ…」と実際にしっかり声を出してしまったり。そして毎度の心持ちと言えば、「まただ。またやってしまった。だから駄目なんだ。こんなだからいつまでもパッとしないんだ」という自己嫌悪である。しかしこれの性質はひたすらに「後悔」であり、その上でも下でもない。「反省」とは違う。罪の意識も勿論(たまには)あるが、おそらく「次」には活かされない。 頭の中の画面には、その日一日で最もださかった自分の「珍プレー映像」(俯瞰撮り)が繰り返し流れ、そしてその糞ださいシーンが何度も何度もリピートされた後は、更にそのシーン内の「一番の阿呆面の瞬間」(失敗の決め手部分)で映像は一時停止され、画面はしばらくそのままなのである。気持ち悪い顔。気持ち悪い肌。気持ち悪い声。気持ち悪い言い方。気持ち悪い内容。何言ってんだ。何やってんだ。ほーらどうなった?ほーらこうなった。「ざまあみろ、俺」である。 崇拝なんかされるものか。こんな俺に(コソコソと)嫉妬を向けて、それを隠せているつもりで赤面逆上など、気違いのやる事である。情熱的な恋愛は勿論、ましてや結婚なんて出来るものか。一族なんぞ増やせるものか。他人に会ったら他人のアラ探し、一人の時は自分のアラ探し。どちらも、その攻撃・嫌悪は執拗だ。半端で終わる事はない。いつまでも覚えているし、いつまでも(何度でも)責めるだろう。 嫌な事程忘れないし、嫌な奴程消えてくれない。自分の昔話をしようとする時、真っ先に浮かぶのはその二つ…つまり「嫌な思い出」だ。笑わせたいのに、笑いたいのに、体で覚えた嫌な臭いが、離れないから煩わしい。つまりはこの敏感な嗅覚自体が人に不快を与え、結果的に自分をも「面倒臭い」に巻き込むのだ。やっぱり、ちょっと邪魔だ。や、それよりも何よりもまず、頭さえもう少し良ければ。もっと、もっと、頭が良ければ。只それだけの話。それだけ、だと思うのですが……
我がバンド中学生棺桶の本年度のライブが全て終了し、今日も今日とて風呂場で思い出すのは、嫌な事ばかりです。あれも駄目、これも駄目、自分のせいのチョンボが次々蘇ります。俺は、実にふがいない。実にみすぼらしい。来年こそは、今よりもっといいバンドにしないといけない。何度もそれを実感出来なけりゃ、いけないのだ。 忘れなくていい。忘れるな。その上で、学べ。遊んでいいのは、学んでいる者だけだ。俺はもっと勉強しなければいけない(パンクにしろ何にしろ、勉強自体は決して悪い事ではない筈だ)。そろそろすべきだ、「反省」も。このままじゃ、やっぱりまだふがいない。「ダメカッコイイ」などではなく、「駄目」なのだ。まだ、まだ、足りないのだ。メソメソ「後悔」だけで済ませてはならないのだ。 日常の選択全てがバンドに繋がるのは事実(だって詞も曲も何もかも俺が作って決めてるんだから)である。だから、真面目に選べ。「真面目な堅苦しいものだけを選ぶ」という意味ではない。もっと考えて「ちゃんと選べ!」という事。ふざけた事にも、いちいち真面目に向き合え!って事。 これは決意表明であります。誰にも見限られぬ様、もっとちゃんとします。どうか見限らないで下さい。退屈されるのは、一番嫌なんです。俺も退屈は嫌いなんです。だから絶対に!それ(退屈)が俺であってはならないのだ。いい男&いい女だけと、俺は遊んでいたい。その為に、それが似合う為に、学び、鍛え、染み付けて、結果を出さねば、である。有意義な遊びの連続の為に。そういう素晴らしい暮らしの為に。 狙い、そらし、その交互でも実際は近付いていたい。あの場所に。
今週のおかず三品: のりちゃんの唄/ハニカム セシルはご機嫌ななめ/ハニカム 失踪注意報/ハニカム (全て、先日やっと完成・発売された傑作ライブアルバム「似て非なるもの」より)
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