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第八十一回 これが一つの(本当の)絶望だ
くたばれ!!日本テレビ! もう本当に大っ嫌い!何なんだ!?あのヤッターマン・リバイバルは!アンタラそれでも、唯一無二のタツノコプロなのか!?今や内部はホゲタラだらけなのか?三悪とドクロベエ揃えるだけで、ファンが「大人の笑顔」で賛美喝采すると思ったら、大間違いだぞ!!よくも、よくも!よくも!!あんなヤッターマンにしてくれたな! 糞忌々しい。全くなめられたもんだ、ファンも、タイムボカンシリーズ自体も。あんな風に出来上がってしまい、あんなまんまで放送してしまいやがった「2008年版ヤッターマン」を、我々の様な「シリーズ通しての応援野郎」は、怒りナシで(悟り澄ました訳知り顔で「落ち着いた大人アピール」に走る「すかした価値相対コメント」で)暖かく迎えるなど、決して出来ない。そんな「ポーズ」、してはならないのだ。はっきり拒否だ。受け入れてたまるか!あんな「仕上がり」で。 まず、何だ?あの画あの色あのタッチ。アメ公んとこのアニメじゃねえんだよ!そして!!昨今の「現実逃避ヤラハタ相手深夜アニメ」「精神的貧弱者びいきコミック」でありがちな(いや!必ず使う)ディフォルメ描写……「登場人物が困惑した時に巨大な丸の白眼になり鼻がなくなり口が四角くなる」…あのパソコン上でゴミどもが記号組み合わせて書くあのツラ(伝わっただろうか?顔文字って言うのか?知らんけど)……アレ見たら必ずチャンネル変える程に俺は本当に大っ嫌いなんだが……アレをやるなよ!あんなもんを!ヤッターマンで!!(日曜朝の鬼太郎然り、今のアニメは何処かに必ず萌えだの何だのネット依存病人どもへのご機嫌取りじみた「腐臭」を取り入れないといけません的ルールでもあるのか?)タツノコだろ?タツノコアニメのくせに時流を取り入れて媚びるなんて、やーめーろー!! まさか、まさかあのタツノコプロに裏切られるなんて、幻滅させられるなんて、古くからのファンの内誰一人だって、勿論山本正之氏だって、まさか思ってもみなかった筈だ。 何故!時代と寝る?何故!その為に伝統を曲げる?何故!時代の流行最下層のパソコン世代のガキどもにへつらって、独自の質感を捨てる?タイムボカンシリーズというアニメは、およそ三十年の輝ける歴史ある、「ワンパターンの美学」という伝統のシリーズである。その「シリーズならでは」つまり「タイムボカン節」なんか、幾らでも減らして良いから今風にしちゃいましょうやなどと(今回のリバイバル版でその「節(ブシ)」を感じさせてくれるのは、三悪の超ベテラン声優による「実年齢を無視した悪魔的演技」…それだけである。それ以外が全てひどいのだと、馬鹿にしてやがると、今俺は声を荒げている訳だ)、一体誰が決め、誰が話をホイホイ進めたのだ?どこのスカポンタンだ?社内のホゲタラ重役か?死んでくれ。死んでしまえ。 タツノコタッチ・タツノコカラーで堂々としていたらいいのだ。八年前の「怪盗きらめきマン」の時は、堂々とタツノコ然としてたじゃないか。何だ?12チャンだったからか?て事ぁやっぱり日テレのせいか?そうなのか?そうなんだな?!やっぱりそうなんだろうな。「馬鹿の間でだけ流行らせて馬鹿から金を巻き上げる」のが唯一の狙いであり、番組制作の絶対的態度であるのは、日テレのどの番組をチラ見しても明らかだ。エンタの神様然り、没個性な量産型ジャニタレをここぞとばかりねじ入れて御輿に担ぐ糞みたいな連ドラ然り。 次に主題歌だ。ひどすぎる。多くのファンの一番の怒りはここだろう。「何でお前らなんだ?!」、である。これは「新しい試み」ですらない。だらしない金稼ぎの為のコネクションでだらしなく当てはめただけの、まさに「文化破壊」である。 「ミヒマルGTだぁ?」「野村義男と世良正則ぃ?だからどうした?糞だせえアレンジ(テンポが売りの一つであるこのアニメでドラムレスのアコギアレンジはないだろう。勿論手抜き臭さも感じられる)で名曲台無しにして図々しい!」要するに「何で山本正之じゃないの?」、である。 シリーズの殆んどの楽曲を手掛け自らも歌っていたシンガーソングライター、それが山本正之氏である。氏の名を世に知らしめるキッカケになった作品こそ、シリーズ2作目にして大ヒットしたこのヤッターマンなのだ。ゆえに本人(の人生)にとっても、大切な大切な、最重要作品なのである。 そして今回、山本正之氏の思いは、見事に引き裂かれた。彼は「もう見限ろうかと思う」と言っている。彼が大事に大事に愛したヤッターマンを、だ。まさに今が旬の話題なので知っている方も多いだろう。彼は今回、制作者側から「騙しうち」をされたのだ。「唄いましょうか?」と自らも連絡した「楽曲提供者」「シリーズになくてはならない骨組みの一つ」「生き証人の一人」であるに関わらず、彼は適当にあしらわれ、騙されたまま、知らされないまま、彼が正式に許可していない「糞だせえアレンジでの主題歌」でのオンエアとなったのである。嘘と誤魔化しで!だらしない商売の為に!勝手に!である(山本正之氏は自身のブログで糞リバイバル版第一回の放送終了後即座に「やっと言える」と真相と心情をぶちまけた。が、あまりの反響への配慮か、現在はその「悲しみの長文」は閲覧不能となっている様だ)。 制作側の卑劣な商売人どもに、再度問う。何故、独自の伝統をかなぐり捨てた?どうでも良くないものを、どうでもいいよと侮辱・切り落とした? 気が滅入る。心底、山本正之氏に同情する。そして氏以上の嘆きと怒りをもって、日本テレビごと、俺は睨むのだ。あんなアニメは嫌だからだ。決して懐古主義でも流行至上でもなく、「既にある優れたものと何かの組み合わせで生まれる新しさ」及び、うわべの現代っぽさ(チャラさ)を無視した「筋の通った新しさ」ってのは、俺はあると思う。全ての表現や創作は、そこだけを目指して苦闘すべきだと、俺は思う。 だがしかし!この現世にはびこるトレンド、嗚呼!その、前に習え列に並べ横に揃ってパーティで嘘八百と嘘八百で千六百でチャラにせよ的「大人のお付き合い」「〇〇シーン」「〇〇サロン」の存在!その胡散臭さ!薄汚さ!卑劣さ!醜悪さ!臆病な徒党根性よ!!
いい機会だから、もう本当に、テレビ自体を、もう金輪際、見るのをやめようと思う。苛々するばっかりだ。 最早、ろくな番組が無い。そこにはろくな「意図」が無い。コネコネコネコネ、気持ち悪い。嫌な時代(現代)の嫌なトレンド、そんなもんを有り難がる糞チャラ思考停止カボチャ頭ヤング(秋葉原キラキラ勢&ネット依存病人勢も、当然含む)、そんな連中にひたすら媚びる制作側の、嫌ぁーな臭いしかしない昨今の「深夜アニメ」及び「アニメ化」及び「リバイバル」及び「ドラマ化」及び「特撮」及び「お笑い」及び「歌」……番組、スポンサー依存の為に巨大なる金満組織(ジャニーズだのディズニーだの創価だの吉本だのマクドナルドだの、アメリカだの)の圧政に言いなりのまま「事なかれ主義」を貫徹して本当の事を隠して伝えずしらばっくれる「報道」…番組も、全て!全て!気持ち悪い。 もう嫌だ。テレビなんか嫌いだ。今後は、昔のビデオやDVDを映すスクリーンとしてのみ、使う。見限った。もう、本当にうんざりだ。 もう一度はっきり言う。俺はテレビが「嫌いになった」のだ。家でパソコン(チャット・オンラインゲーム)ばっかやってる奴ら同様、家でテレビ(昨今の糞番組)ばっか見てる奴らとも、まるで話が合わない(男女問わず)のは今までだってそうだったが、これからは今まで以上に奴らとは溝が出来るだろうし、壁を作るだろうし、あからさまな侮蔑を展開してしまうだろう。俺は、もう嫌で嫌でしょうがないのだ。あんなものの愛好者達が。その神経の「麻痺」が。その人間の「お人好しっぷり」…つまりは、その「だらしなさ」「節操のなさ」、価値判断の、その趣味の根底の、「頼りなさ」が。 大体、家でボサーっとゴロゴロだらしなくテレビなんぞ見てばっかりの連中…ってのは、立派な「思考停止の常連」なのである。(スイッチ入れりゃ後は自動で垂れ流される)娯楽をずっと待っているだけで、しかもすっかりその状態に慣れ親しんでしまっている為に何の危機感も問題意識も抱える筈もない、「受け」の人間(自分はじっとしてるだけで向こうから面白さが飛んでくるのが当然だと思っていて、尚且つ勘違いな事に、面白さを懸命に飛ばす相手や画面や舞台を「斜に構えて」見ている。不細工でみすぼらしい嫉妬ばかり肥大した「無芸大食」の分際で偉そうに、まるで無創作で怠惰な自分は棚に上げて、である)だ。 それに対して、どうにか「自分なり」の、何より「自分向け」の娯楽をと、自らひねくり考えて何とか作り出してものにしようとする「活動真っ最中人間」。前者後者のその一目瞭然の「格差」は、馬が合う合わないどころの話ではない。近寄ってくれるな、という事である。連中が俺を見下すずーっと前のそのまた昔から、俺は連中の事を、とっくに見下しているのである。 何が言いたいのかと言うと、只、俺は怒っているという事だ。そして、「あばよ」である。退屈な坊ちゃん嬢ちゃんとは、徹底して「あばよ」なのである。似た者同士は、俺の見えない所で、勝手にやっとくれ、である。 俺も、勝手にやる。
今週のおかず三品: MECOSARIO/BRUJERIA 被虐の嵐…/マリア観音(初期のカセットテープ収録) 終りの恋/タイムスリップ ↑ページのトップに戻る↑
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