第3回 京都の闇コモンピープル

 胸に真空があった。


 彼女はギリシャから来た女の子、いろんなことを経験したがっていた。
 セント・マーティンズ・カレッジで彫刻を勉強していた。そこで、
 僕は彼女と知り合った。



 今回は最近の話昨年の晩秋冬の始め頃の話。
 12月にまだ入ったばかり、俺は一人で夜行バスに乗っていた。ニューナンセンス雑誌「にやにや笑う」の取材旅行。半分観光だけど。まあああいう雑誌だから。
 まあ適当だ。
 ただ、俺の胸に小さくて黒い真空があった。
 それだけだけど。
 胸に真空があった真空があった。
 京都に向っていた。初京都。相方の神田五重塔とは別行動。翌日落ち合う予定。車中ではポータブルCDプレーヤーでずっと同じ曲をリピートして聴いていた。古き善き90年代。ブリットポップブリットポップ。


 「私のダッドはとってもお金持ちなの」
 なんて彼女が話すもんだから、「だったらラム&コークおごってよ」
 って僕が言うとすぐに、
 「いいわよ」

 そう言って30秒も経たないうちに彼女はこう言ったんだ…

 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの、
  私、ふつうの人たちがする事は何でもやってみたいの、
  私、ふつうの人たちと一緒に寝たいの、
  私、ふつうの人たちと一緒に寝たいのよ、あなたみたいなね」

 えっ?僕がそういうの案内しちゃっていいの?すげえラッキー、

 僕は言ったんだ。「わかった。僕がなんとかするよ」



 夜はずんずん更けていく上から覆いかぶさってくる。高速バスに拘束。硬い椅子。もちろん寝心地最悪。眠れない。俺は所在無く胸の真空を弄ぶ。なんか、痒い。胸が痒い。真っ暗な車内でごろんごろんと、俺は考えていた。バスはぶすぶす進んでいって。そぞろ窓景は後ろになる。
 夜景をみながら俺は、人生のことを、考えていた眠れずに。

 彼女をスーパーマーケットに連れていた。何でスーパーかは知んないけど、
 でもまあ、どっかしらから始めなきゃなんないじゃん。
 だから僕はそこから始めたんだってだけの話だよ。

 「ふつうの人たち」になるためのレクチャーその1。

 「お金もって無いふりしてみなよ、そんでばれないように万引きしてごらん」って僕は言った。
 でも、彼女は大爆笑。
 そしてこう言うんだ。
 「あなたって本当に可笑しな人なのね」

 「ええと、ここには笑ってる人なんて一人もいないんだけどな…、

 君は本当に、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの?
 ふつうの人たちがする事は何でもやってみたいの?
 ふつうの人たちと一緒に寝たいの?
 君は、ふつうの人たちと一緒に寝たいんだよね?僕みたいなさ」

 でも彼女には理解できなかったみたい。

 ただ、微笑んで、僕の手を握っていたよ。



 業腹にまみれた、情動に溢れた人生を送る方法はないだろうか。強力な行動で、衝撃の格好で、歯軋りの表情で。
 世の中をこてんぱんにする方法があるならどんなものだろうか。世間にすっとんきょうな声を上げさせるにはどうすればいいだろうか。全員しっちゃかめっちゃかでふんだりけったりにしてやるにはどうすればいいのか。ぽんぽかぴんぴんぽかぽんぽん。そんなことを、俺は真っ暗な車内でPulpを聴きながら考えていた。
 胸中の真空と、真正面から向き合っていた。
 俺は胸を開けて真空を見た。真空は俺を見据えて笑っていた。
 胸の真空が俺を見て笑っていた。


 ふつうの人になりたいんなら、しなきゃいけないことがいっぱいあるよ。
 コンビニの2階の部屋を借りなきゃいけないよ。
 髪を切って、仕事を見つけなきゃいかないよ。
 シケモクを吸ってビリヤードをするんだよ。
 学校なんか行ったこと無いふりをするんだよ。

 でもまあ、そういうことしても君は「ふつうの人たち」にはなれないだろうね。
 だって君は夜中ベッドに横になっているときにゴキブリが壁を這っているのを見つけてしまっても、
 「とってもお金持ちのダッド」に電話しちゃえば一瞬で全面解決になっちゃうんだから。



 運転席に設置されている大きなデジタル時計の緑色が5:00になった頃バスは着いた。結局一睡もできなかった。降り立った京都駅。京都の方々はまだ夢の中。友人の君の家に居候する予定だった。だが流石に5時にお邪魔しては迷惑だろう時間を潰さなければならないな、と俺は考えるそうだ思いついたぞ散歩しよう俺は散歩、することにした。まだ真っ暗で一日の始まる前の京都を歩くことにした京都駅からY君の家のある出町柳駅まで、俺は歩いていくことにした。
 まだ少し紅葉の残る京都の早朝の冷たい空気を呼吸しながら、靴をがばがばしながら俺は北に向った。
 東京からずっと、イヤホンを冷たい耳にねじ込んだままでいる。
 ジャービスが俺の耳元で金切り声を上げ続けている。
 俺はY君の家の方角へ。
 初めての京都は無言。盆地の底冷えでウエルカム。
 深。
 凛。
 眠民。

 冬がハロー、つって沁みこんでってる京都の道を鴨川沿いを。

 俺は歩いた。真空と一緒に。

 君には絶対ふつうの人たちみたいに生活することなんてできないよ。
 君には絶対ふつうの人たちがする事はできないよ。
 君には絶対ふつうの人たちと同じように悲しくなったりできないよ。
 君には、ふつうの人たちのように人生が滑り落ちていくのを何もできずに見送って、
 しょうがないからって理由で踊ったり、
 酒を飲んだり、
 セックスをしたりすることなんて
 絶対できないよ。



 紅葉が必死で木にしがみついている冷たい風が吹いて、それをはがす。サンタクロースの衣装を着たホームレスが空き缶を潰している。新聞配達自転車があくびしながら横を通る。まだ暗い。明るいのはコンビニだけ。星だけ。空中で凍って落ちる俺の白い吐息だけ。熱い缶コーヒーを買って誰もいない公園で耽る。込む。
 暗闇のあまりの寂寥に凍えて、
 強く凍えて、
 ぱちん、と音がして、
 真空が何かに変わる。


 ふつうの人たちと一緒に大声で歌う。
 それで乗り切ることができるかもしれないからって懸命に歌う。
 ふつうの人たちと一緒に大声で笑う。
 でも、一緒に大声で笑いながら彼らは君のことを嘲笑しているんだよ。
 だって君は、貧乏がクールだなんて馬鹿な事を思っているんだもの。


 怒り、きっとこれに名前をつけるのなら怒りだろう。真空が怒りに変わって肺のあたりでぶすぶすと暴れてだす。
 どうしてだろう。行き場が無い。自慢じゃないけど、ものすごい功名心がある。焦燥感だけは自信がある。酷い虚栄心がある。哀しいくらい高邁な性格だ。社会に違和感がある。システムに嫌疑心がある。これをどうにかしたい。

 これをどうにかしたいんだ。ただそれだけなんだ。


 犬みたいに道路の角に寝転がっている。
 彼らはすぐに噛みつくよ決して君に懐いたりしない。
 見てみなよ。
 今にも君を内側から切り裂こうとしている。
 だって皆、金を持っているツーリストを憎んでいるんだ。
 あいつらの一人が笑いながらこう言うよ、
 「…かわいいギリシャの公衆便所が浴室から出てきたぜ」


 君には絶対理解できないだろうな。
 無気力と体制の下で生きなければならない生活がどんなものなのか。
 ふつうの人たちにはどこにも行くところが無いんだ。


 そんで君はきっと、彼らの矮小すぎる存在と、なぜ彼らがあんなに眩しく燃え上がることができるのかということに対してすごくびっくりするんだろうな!



 途中、松屋で朝食セットを喰った。小鉢は豚皿にした。空が紫色になってカラスががあがあ泣き始めた。京都のカラスは東京のカラスより小さくてなんかかわいい。京都にはカラスが似合うね。松屋の店員がゴミを出すカラスが、それを狙っている。俺はそれを眺めている。睨んでいる。カラスが俺を見ている俺がカラスを見ている。俺は店の中。安い豚肉を食っている。夜明けが来る。朝になる一日が始まる。京都がぱちくり瞬きして目覚めだす。起きる。景色が変わっていく。
 朝が来る。

 コンビニの2階の部屋を借りなきゃいけないよ。店の上の物件は安いんだ。
 髪を切って、仕事を見つけるんだよ。目立つ髪形じゃ雇ってもらえない。
 シケモクを吸ってビリヤードをするんだよ。煙草代も無いんだ。
 学校なんか行ったこと無いふりをするんだよ。教養なんてあるわけない。
 でもまあ、
 そういうことしても君は、
 「ふつうの人たち」にはなれないだろうね。
 だって、
 君は、
 夜中ベッドに横になっているときに、
 ゴキブリが壁を這っているのを見つけてしまっても、
 「とってもお金持ちのダッド」に電話しちゃえば一瞬で全面解決になっちゃうんだから。



 俺は朝の京都を歩く。ジョギングの人とすれ違う。犬の散歩とすれ違う。通勤の自転車とすれ違う。通学の学生とすれ違う。鴨川沿いの、昔からある通りを歩いている。


 君には絶対ふつうの人たちみたいに生活することなんてできないよ。
 君には絶対ふつうの人たちがする事はできないよ。
 君には絶対ふつうの人たちと同じように悲しくなったりできないよ。
 君には、ふつうの人たちのように、人生が滑り落ちていくのを何もできずに見送って、
 何の理由もなしに変なダンスを踊ったり、
 安い酒をがぶがぶ飲んだり、
 好きでも無い相手とセックスをしたりすることなんて
 君には絶対、絶対できっこないよ。



 3時間かかって出町柳駅前についた。電話するとY君はすぐに迎えに来てくれた。
「おはよう」と俺。
「おはよう」と彼。
 俺は彼の家に転がり込んで、すぐに布団を借りた。疲れていた。眠い朝8時。Y君は「大学行くわ」と言って出かけてった。俺は布団の中から寝ぼけ声で「うんよ」と言って見送った。目を瞑った。そこには朝闇があった。鼻からZを108個こぼして寝た。ぐうぐう寝た。
 何でもできるような気がする。
 多分俺は無限だ。
 多分俺はあと500年くらいは生きる。
 多分俺はどこまででも行ける。
 多分俺は…

 今は眠いから寝るけどね。

 ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ。

 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」
 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」
 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」
 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」
 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」
 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」
 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」
 「私、ふつうの人たちみたいに生活してみたいの」



 起きた俺は後藤繁雄さんに食事をたかりに行き、京都造形芸術大の丘から京都市内を一望、Y君とGさんとボジョレヌーボーを空け、カシオペア座を見、「ハウルの動く城」の批評をし、次の日は岩倉実相院の床紅葉を鑑賞、清滝トンネルで車に轢かれそうになって、動物園に行ってちっちゃい観覧車に乗り、行き当たりばったりで雑誌の取材をして同じ夜行バスで東京に帰った。
 京都はとってもいいとこだった。
 いい景色といい人たちがいっぱいだった。

 俺はにやにや笑う。たらたら歩く。ぐうぐう寝る。ぱりぱり怒る。

 探しているのは昇華。
 どこにあるんでしょうか。


 そんで君はきっと、彼らの矮小すぎる存在と、なぜ彼らがあんなに眩しく燃え上がることができるのかということに対してただただ、驚くだけなんだろうな!



 おしまい。

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