第4回 川を下っていけば海に辿り着くということ

 多摩川歩くと


 俺には散歩する癖がある。何か考え事があったとき無かったとき、晴れているとき月夜のとき、暖かいとき眠れないとき、しょっぱいとき温いとき、青いとき臭いとき、なんとなく、なんとなく歩く。何時間でも歩く。
 ついこの間まで俺は日野市に住んでいた。多摩川沿いが俺の散歩コースだった。単なる川フェチなだけなのだが、一級河川多摩川には東京ではあまり見ることのできない広い空がある。夕陽をバックに橋をわたる京王線やら鳥の群れ、朝日を光物の魚みたいにやる瀬なさそうに反射する川面、どこまでも続くブルーテントを覆い隠すような曇り空、筆字みたいなすじ曇、捨てられた自転車の冷たい鉄の錆びた匂い、ごろごろと何百年もかけて転がる石、風、草、惰性と連鎖、そういう漫画みたいにわざとらしい光景が溢れていて、俺はそれが好きだった。見ていて飽きなかった。そこの空気を吸ってぶらぶらと無作為に歩き続けるのがなぜか日課だった。


 海、が見たくなった。


 ある秋の日曜の真昼間、俺はいつものように無価値な現実を確認しながら多摩川河川敷を歩いていた。何の約束も予定も無い駄目な午前だった。サイクリング親子やウォーキング老夫婦がすれ違う。遠くに公設の競技場でサッカーを楽しむ市民団体が見える。天はもう突き抜けて、羽にされて吸い込まれてしまいそうなくらいの晴天で雲っこひとつ無い。俺は両腕をぷらんぷらんさせて前へ進んでノープラン。俺は自分で自分が一体何がしたいのか分からず、自分のあまりの滑稽さ、ノーフューチャーさ、張りの無さ、自堕落さに呆れてしまいもう笑うしかなく笑っていた。ああ俺は何がしたいんだろう。残り少ない地球の酸素を浪費していますごめんなさい。ああ俺は何がしたいんだろうあはは。
 そのときに啓示のように俺の腐った脳に優等生を演じるアホ中学生のようにあるアイデアがしゃしゃりでた。
 目の前にあるのは川、である。川は海に繋がっている、このぬるぬると排水やら痰やら雨やらを混ぜて流れていく流れは絶対に海に合流して海になる流れなのだ。この川の流れの先には太平洋がある。大海原がある。アメリカがある。
 あら、素敵じゃないの。俺は思った。


 そうだ、海を見に行こう。


 海を見に行ってみよう。
 俺は何がしたいのか、分からないが、俺はなんとなく今、海が見たい海を見れば俺が何をしたいのか分かるんじゃないか。海が見たいから海を見に行こう何がしたいのか分からない。この川を伝って行ってみよう。川を伝って海まで行って海を見て何がしたいのか考えてみよう。何がしたいのか考えながら海まで行こう。海まで行って…。

 というわけで、思いついたらすぐ実行しなきゃいけないという固定観念に囚われている俺は川下に向って一直線歩き出した。しょぼくれたジーンズのポケットには数枚の小銭と携帯と水色の虚無感しか入っていなかった。俺はふうわりとあくびをした。俺はふふんとくしゃみをした。行こう。どうせこれからすることも無いんだし、観たい映画も無いし、電話するギャルもいないし、多分海までは40キロくらいだ。明日の朝には着くだろう。さて頑張れよ俺の足。
 どんなものでも目標というものが見つかるとそれを達成しようと躍起になるもので、俺は少し元気になって黄色い太陽がひらひらと日差しを散らしているやわらかい秋の多摩川の土手をやわらかい心持で川の流れと一緒に歩いた。歩いていったのだった。


 自分の行動の意味なんて知らない体が勝手に動く、体が海に向って勝手に動く。


 神が休息の為にこしらえたサンデーのお昼時は21世紀の日本国の多摩川沿いで絵に描いたようなピースフルを俺の眼前に順序良く並べていく。少年野球の試合をおにぎり食べながら観戦する家族連れ、大きなヘルメットをかぶってバッターボックスに立つ少年に声援を送るのはおそらく彼の妹であろうセミロングヘアでワンピースの小さな女の子。バイト仲間とバーベキューねぎ刺しを食いビールを飲みながらありきたりな恋愛話をする大学生の笑い声どこからが浮気だと思う?赤いラジコン飛行機は小さなモーターをフル稼動させて流線形のプロペラに風を切らす高く上がって旋回して上手に着地させる操縦士はグランドからにやりしてサングラスが光る。さらさらさら涼風に身を任せて全く文句も言わず夢も語らず歌も聴かない、タンポポより弱くホウセンカより細いコスモスの花々は今が盛り也。府中調布狛江世田谷。
 100円の自販機を見つけて熱い紅茶調度良くある緑色のペンキのはげかけたベンチで一休み俺は川を見る。川は当然流れていた。俺は何をやっているんだろう。ああ、早く海が見たい。それしか考えていない。それしか考えられない。


 つるべ落としのお日様はらせん状に落ちる。すぐに辺りには夕が被せられてみかん色になる。


 初老のおじさんのスローな太極拳はきっと夕暮れを止めようとしているんだ眼を瞑って時間を越えたサムシングを確かに掴んでいるでもそれは俺には見えない俺には見られない。川に向って三味線を練習しているお兄さんはどういう将来を思い描いているのだろうその響きは具象化して転がる俺は一つ拾って口に入れた。ラブホの前の土手でいちゃついてるカップルが数組他に負けじと大胆が加速するディープキスの音闇に映える太もも。20代後半の夫婦が小説談義をしながら散歩している後姿。ナイロンジャージを釈迦釈迦言わせて有酸素ウォーキングに励むマイクロ親子は父親ほったらかし。俺は流石に疲れてしまってそれでもだらだら歩く。夕はすぐに瞬きして晩に変わる。コンビニでメントスのグレープ味を買って食う。甘さが夜に溶けて一番星になった俺は三日月を発見した。三日月に問うてみるなあ俺は何がしたいのか。…答えない。


 暗くなった。闇の中でぽつりとネオンを輝かしている街川崎で俺は一休み。


 クラブチッタの前の松屋で牛丼を食った。アメリカ産牛肉をほおばりながら、俺は自分の行動の意味を考え、考えあぐね、考えるふりをし、考えているつもり、考えてなきゃとあせり、考えずにいる。もう、海は目の前だろう。海に行ったときの俺は何をつかめるだろうか。紅しょうが。まばらな客。ぞんざいな態度のバイト店員。神奈川県の夜中。漫画喫茶に行って仮眠する。疲れたわ。少しだけ新井英樹の漫画を読んで2ちゃん見て、未だ無作為。4時間ほど休んで俺はまた歩き出した。もう真夜中になっていた。


 海の気配がする。


 河の香りが磯の香りに変わる。淡水と海水が哀しく混ざっているのが香りで分かる。ところで海と川の境ってどこなんだろう。基本的に埋め立てられてるしな東京湾。夜は沈む車みたいにとぷとぷと耽る。とぷとぷとぷとぷと。新六郷橋のところに警官が立っていた俺は海までの道を聞くええ?海まで歩いて行かれるんですか?怪訝な顔つきで俺に道を教えてくれた。親切です。シュールすぎ。神奈川より東京側のほうが道が舗装されていて良。誰もいないトンネルをただ歩く。街灯が無くなるこんなとこ歩くやついないんだろうな。足元が見えない。音もない。猫もいない。コンクリートしかない。周りに赤いランプが増え始める。世界に誇れる巨大湾。都会の海。人類の栄達の手垢にまみれたベイ。もうすぐ朝。夢からトキオが目覚めていくよ。午前5時。明るくなっていく。俺は羽田空港の敷地内に迷い込んでしまったらしい。海の方向には滑走路が広がっていて、どうやら入れない。


 空と海があるところで突きつけられる地球の丸さが鬱陶しい。風が強い。


 白い朝日がびかびかと俺を照らした。飛行機の匂いがした。道路がぐりんと曲がっていてそこに階段があった。登ってみるとそこは羽田の国際線ロビーで韓国人がはしゃぎながらバスに搭乗していた。俺は腹が減っていたので案内のところに行き、レストランはないのかと尋ねた。すると若いグランドアシスタントのお姉さんは無料バスに乗って隣のロビーまで行けばあると言った。俺の事を韓国からの帰国者だと思っている様だった。写真をやたらとる韓国の女の子たちはO.P.KINGの話をしていた。彼女らとバスに乗って出発ロビーへ。これから仕事が始まるのだろう。糊の効いたスカーフをかましたスチュワーデスやザ・機長みたいな集団が朝食を取っているレストランで900円くらいのカレーライスを食べた。水をいっぱい飲んだ。京急線に乗って家へ帰った。

 別に誰と出会ったわけでも、何を見つけたわけでもない、波打ち際にも辿り着けなかった。俺自身何がしたかったのか分からない、ただカレーはうまかった。家に着いたら疲れていたので、ドロみたいにずぶずぶと寝た。目標を達成できなかったという矛盾した満足と予想通り答えはでなかったという自虐的な成果を抱いて俺は寝た。


 海は見られなかった。

 何も分からなかった。




 おしまい。

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