第16回 四国遍路編7

 7月25日 8日目 ユメとセイ 前編



 ユメ。

 「どこでもない場所」を浮遊している。ふんわり雲の上。まどろんで。いい気分。ふわわ。目覚める直前にある、小さな小さな真珠みたいな覚醒の感覚。それを舌の上で転がしながら俺は朝を転がしながら、睡眠を転がしながら、真っ白な夢の中。俺はもうちょっと、もうちょっとだけって惰眠を抱いている。すずしい、夏の朝。どこでもない白。波の音。室戸岬。宍喰温泉。舌の上の覚醒は小さいけど硬い。半睡の俺は口を薄開きにしてすうすう。寝ているのだ。安寧に守られているのだ。もうちょっとだけこのままでいるんだ。いい気分だ。幸せと言ってもいい。

 …。

 むぐむぐ。

 …突然、唇の辺りに違和感。何かが俺の顔の上にいる。そしてそれはそのまま俺の口の中に、

 むぐむぐ。

 口の中に何かがいる。現実世界にもどってくる。引き戻される。むぐむぐ。そいつは俺の口の中でむぐむぐ。口内を乱雑に徘徊。何してるの?君は?うざいわ。寝ぼけ眼で口の中をまさぐる。何かが逃げる。捕まえる。口から出す。寝ぼけ眼で見るとカニだった。赤ん坊の拳ほどの大きさの白いカニが、俺の口内に侵入してきていたのだ。

 むがへっ。

 寝ぼけてあわてて吐き出して右手でそいつを捕まえて投げ捨てようとすると人差し指を挟まれた。

 いてー。

 振っても離さない。

 カニ。

 カニが口の中に入ってきて目覚めるなんて生まれて初めてだ。人間やってるといろいろあるもんだ。


 高知県に入っていた。高知県東洋町宍喰。太平洋の町。黒潮の町。温泉の名所。道の駅に隣接している温泉に入った後、俺はそのまま道の駅の建物の隅で野宿していた。すぐそこはビーチで、近くの駐車場ではサーファー達が夜通しうるさかった。カニのおかげで目覚めた俺は、不機嫌。さすがに不機嫌。一回伸びをして、隣で寝ていたチャリダーさんに会釈して、マットをくるくる丸めて、公衆便所で顔を洗って、水筒に水を酌んで、でっかくあくびをして、バックパックを背負って、はいはい。分かったよ。また一日の始まり。また人生の続き。軽く体操して、買い置いていたパンをかじって、またてくてく歩き出す。長い長い道を。遠い遠い場所へ。毎日同じことの繰り返し。

 種田山頭火が「ごろごろ浜の ごろごろ石 まるいまるい波に 磨かれ 磨かれた石だ」と、イマイチ文学性の感じられない句を詠んだという室戸岬へ続く国道55号線を俺はひたすら、エレファントカシマシのニューアルバム「俺の道」を聴きながら行く。灼熱が空からたくさん降ってきてアスファルトにぶつかって跳ね返って、俺の脚に当たってチョー痛い。続き続く道。跳ね返る灼熱黒光りアスファルトは漆みたい。
 右手が巨大な四国で、左手が大海原。空は突き抜けた青で、足元は真っ黒な国道だ。隣を車が無言で飛ばしていく。ゴムの匂い。気温がどんどん上がっていく。空気がどんどん膨張していく。ああ、夏だ。熱い潮風。俺は杖をつきながら歩く。室戸岬を感じている。ああ、道だ。ああ、海だ。ああ、空だ。ああ、岬だ。なあ、室戸、なあ、高知、なあ、四国、なあ、日本、なあ、地球。イヤホンからは宮本浩次、素肌に白ワイシャツ。震わす大声量でかっ叫ぶ。


 オ前デッケエナァ!!!!!!!!!

 オ前デッケエナァ!!!!!!!!!

 オレガ ミツメテ ル ノ ハ 、
  化ケモノ ト決マ ッタ、

  オレ
  オマエの  周リ、恐ル恐ル マワッテマワッテマワッタ!!!

 熱い。

 でかい。

 びんびんくる。


 そう、旅はエレファントカシマシだ。自分が進んでいるって事、自分が自分の足で行っているって事を確認するためにはエレファントカシマシだ。俺は四国の端っこで勝手に悟る。ははは、旅はエレファントカシマシだ。夏はエレファントカシマシだ。バケモノみたいに巨大な室戸岬の上で、俺は笑う。エレファントカシマシを聴きながら笑う。夏を食いながら笑う。空を仰ぎながら笑う。エレファントカシマシを聴きながら歩く。俺は歩く。まだ歩いている。まだ進んでいる。同じことばかり考えている。

 オレニ力ヲ

 オレニ勇気ヲ

 アァ、バカバカ シイネ、オレ祈ッテラァ


 室戸岬がやばい。俺は全身で感じている。俺は一人で歩いている。

 今まで結構歩いてきたけど、まだ予定の行程の3分の1も進んでいない。

 ただただひたすら、

 歩く。

 昨日も今日も。

 いつまで?

 いつまでも?

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