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第18回 1泊6日の北海道旅行 出発編
前回記載していたYとMは、
Y=山田 M=マルクビッチ
とします。悪しからず。
午前9時だった。朝陽がまだ白い。山田は玄関でバンズスリッポンの靴紐を結んで下宿を出る。銀色のドアノブに銀色の鍵を差込みがっちゃりん。雀が雀語で井戸端会議をしているのを尻目にすたすたと百草園駅まで歩いて、電車に乗って、八王子方面に。あの高幡不動のアパートにマルクビッチを迎えに。2人は夕方のフェリーで北海道へ行くのだ。午前9時15分アパートに着く。マルクは寝ていた。部屋に鍵もかけずに。土足で上がりこむ山田。マルクの部屋は相変わらずの様相で、こち亀の日暮さん家のようだ。三葉虫フェチの山田はもしかしたらここなら三葉虫がいるかもしれない探してみようかと思ったが、蜘蛛が出てきたら怖いからやめた。6畳の足の踏み場も無いフローリング、テレビがつけっ放しで、CXが『こたえてちょーだい』を垂らしていた。マルクはワインレッドのソファーベッドで布団を抱いて平和に睡眠。涎。傍らには読みかけだろうか、『タイタンの幼女』。マルクを揺さぶり起こす山田。山田に揺さぶり起こされるマルク。
「旅立ちの朝だぜブラザー。そろそろ起きてくれ」と山田が言う。 「ああ、もうこんな時間か。すまない。起きられなかったよ。目覚めの浴湯をするから、ちょっと待っててくれないか」とマルクは眼をこすりながら応じた。 「分かった。ゆっくり入っててくれてもかまわないぜ。時間はいくらでもあるからな。とりあえず俺は、漫画でも読んで暇を潰しているよ」 「悪いな」 そう言ってボクサーパンツ姿のマルクは山盛りの洗濯物の中からバスタオルを取り出してユニットバスに。山田は仕方が無いのでワインレッドのソファーベッドに座り川合俊一の笑い声をBGMに、側に落ちていた『セクシーボイス アンド ロボ』を拾い上げ、読む。
山田は他人の部屋に独りでいるといつもとても不思議な感覚に襲われるのだった。どうにかして豆腐を綺麗な立方体に切りたいのにいつも不細工な台形体みたいなのになってしまう。無洗米の米なのになぜかそれなりに洗ってしまわないと落ち着かない。いつも水を入れすぎてルーが薄まってスープカレーになってしまう。鍋にこびりついた焦げが取れない。面倒だから味付けは化学調味料でいいや。自分のものではない生活空間の中で感じる自分と他人との確実な差異に戸惑うのだろう。居心地が悪いのではない。他人の生活に触れることで自分の存在の不思議を再確認させられるのだ。マルクの部屋はくるくると回って山田の薄い混乱にやさしくのけぞるのだった。
「ああ、さっぱりした」わずか5分後、ワインレッドのガウンを着てマルクはユニットバスから出てきた。 「11月の初めといえども北海道は寒いのだろうな。釧路では降雪があったと昨晩のニュースで報道していたよ」 「そうなのか。まあ、厚着していけば問題ないさ」 「荷物が多くなってかさばってしまうので面倒だな」 「仕様が無いさ。もう向こうでは冬だよ」 「向こうに着いたらウヰスキーを引っ掛けながら雪を見るというのも悪くないな」 「ああ、なかなか乙な事を思いつくではないか。君は」 「じゃ、行く?」 「行くか」 「旅立ちの朝じゃね?」 「写真撮っとく?」 「さぶいからいいよ」
伊達男2人は高テンションでアパートを出る。さすがに長期間の外出なのでマルクは部屋に鍵をかける。山田が「鍵なんて持っていたのだな」と揶揄すると、マルクは「ああ、久しぶりに使用したよ」とはにかんだ。 2人は高幡不動駅から京王線の特急電車で新宿駅に行き、そこで山手線に乗り換え上野に行き、そこから金が無いので特急に乗れない2人は鈍行の常磐線に乗って水戸。そしてそこからさらに鹿島臨海鉄道大洗鹿島線というこの国で普通に生まれて普通に死ぬような人は決して乗らない電車に乗って大洗という町に行きその上、フェリーに乗って北海道緒は苫小牧に行こうとしていた。常軌を逸した旅行計画である。ちゃんと予定を立てて早割予約などを使えば確実に空路のほうが安くて早いのに、彼らはフェリーで北海道に行く。何がそうさせるのか。
答えは単純明快なものである。
彼らは馬鹿なのだ。
彼らの脳には「計画」というニューロンが無いのだ。
脳の未来のことを考える部分が生まれつき麻痺しているのだ。
可哀想な人種なのだ。
「若さとは青春に対する決意のことである」とは岡本太郎の言葉なのだそうだ。
彼らは北海道に行くという以外他に何も決めていなかった。決めているのは行きのルートだけだった。帰りの日にちも、滞在予定日数も、向こうでどの街に行くのかも、どっちがネコでどっちがタチなのかも決めていなかった。そのくせ予算は少なかった。
2人を乗せた京王線はことことこっとん、と進むのだった。
続く
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