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第25回 四国遍路編9
空と海とがまざる丸 前編
7月26日 9日目
未だ歩いている
室戸岬攻略作戦もいよいよ大詰め。俺は国道55号線を、もう3日も歩いている。右手に山。もう殺したいくらいでっかい四国。左手に切り立つ崖。その下には脈々と北半球を縦断する紺碧の黒潮。前にはひたすら静かな夏の道路で陽炎がたっていて。後ろは知らん。振り返ったりしない。ただ黙々と、ひたひたと、筋肉痛でひきつった両足を、交互に動かしている。上には空。吸われそうな広大な空。雲ひとつ無い。太陽は性格が悪い。一向にその仕事の手を休めようとしない。暇なのか?俺は照らされて、アイスみたいに汗かいて、歩く。行く。それだけ。それだけ。第24番札所最御崎寺が遠い。でももうすぐだ。遠い。でも、もうすぐだ。
俺はどうして歩いているんだろう?次の寺についても、ゴールじゃないのに。何を焦って、何を思ってこんな暑いのに、先を急いでいるんだろう?それをずっと考えている。昼間は寝てればいいのに。何で歩くんだろう?足元にカナヘビの死骸が在る。アゲハチョウが蟻に喰われている。力尽きた蝉が転がっている。ああ、夏の足元は死骸だらけだ。蟻だけが生きている。でも蟻だってそのうち死ぬんだろう?俺は歩いて、歩いて、歩いて、着いて、出発して、また歩いて、また着いて、また出発して、歩いて、歩いて、四国を過ぎて、東京を過ぎて、見ない未来を過ぎて、結婚して、子供なんかできて、老いて、そのまま路上で、最期はこの虫けらみたいに死ぬのだろうか?昨日はいっぱい蚊、殺したなあ。ああ、こういうのさ、手塚治虫の漫画で読んだよ。俺は考えあぐねている。自分の所作を説明できずにいる。どうして、歩くのか。どうして行くのか。炎天下。道。
あーあ、論理で説明できないことなんだろうなあ。精神論になっちゃうのかなあ。詩みたいなこと言ってはぐらかすのかなあ。そういうのは責任感が無いような気がしちゃうなあ。真摯に人生に向き合っていたいと思うんならしっかりしないと駄目だよな。でも遍路って思いっきり仏教修行なんだもんなあ。宗教ですよ。俺が今やってることは宗教。宗教、て概念に、なんかあやふやな疑念があるんだよなあ。じゃあ俺何やってるんだろ。歩いてるよ。あちいよ。ひたすら。炎天下。道。その繰り返し。国道55号線。はい、右手には、四国。左手には、黒潮。そんで上には…、上には空。
ちょっと極端だけど、俺らの世代の場合、「宗教」、て言って原体験的に脳裏に浮かぶのは「オウム真理教」だったりしない?「宗教」て言ったら「過激な新興宗教」なんだよね。なぜか。イメージは。俺は地下鉄サリン事件のときは中2だったんだけど、テレビも新聞もめちゃめちゃ騒いでて、まあ子供だったから感覚的に思っちゃったんだけど、宗教って悪だ、みたいなさ。 そうそう、同じクラスに幸福の科学の奴がいて、そいついじめられてたね。いじめられるタイプだったね。
実は俺は母親がカトリック。母親は保母なんですね。で、モンテッソーリ教育に傾倒してて、モンテッソーリを知るためにカトリックに入信したっていう、一歩間違えたら危なかった変な親なんだけど。俺も小学校低学年くらいまで教会通ってたんだ。でも日曜の朝からミサ行かなきゃなんないてのがすごく嫌で、しかも行かなかったらシスターに「何で来なかったの?」とか聞かれてね。それが嫌だったね。義務なのかと。祈りが義務っていうのは幸せに育ってる日本の子供には理解できないよな。で行かなくなった。「宗教」て言ったらなんか無理矢理思想統制視野規制みたいなのが基本的にはあって、それを現代風にアレンジして分かりやすく助長されたのが現代の宗教みたいなさ。頭ごなし感がありませんか?人に生活とか価値観とか決められるの楽だからね。内申点とかここら辺に通じると思うの。あ、俺今何が言いたいのかまとめきれてない。まあいいや。中2くらいの頃はそんなこと思ってたわけ。親は別に小言言う親じゃなかったから平気だったんだけど。 とにかく俺は、客観的にモノが見られなくなって、結果ヒトを傷つけたり、キモチ悪い行動をとったりしたくない。そう思ってた。る。宗教、に何か嫌悪感みたいなものがある。自分で考えろよ。みたいなね。クソみたいな現実も孤独も罪も業も全部自分で受け止めろって。俺は染まらないぞ、ってね。
でもなぜか今、俺は四国遍路を歩いているんだなあ。
しかも結構真面目に。
優等生だよ。
つづく
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