第26回 四国遍路編10

 空と海とがまざる丸 後編


 7月26日 9日目



 信仰とは何かと深考しながら進行中


 すたすたすたすた歩いている。真夏の中を。ひたすらに。一本の道を、ゆらゆらと。


 歩いていると、右手のほうに何か大きな真っ白な像が見えた。ぬっ、と室戸市青年大師像。高さ21m。でけー。こえー。21mって数字にすると実感ないかもしれないけど、かなりでかいよ。馬場の10倍だよ。なんでこんなとこにこんなでかいもの作ったんだろ。かなり金かかってるよな。て、すぐ金のこと考える俺。て自分で自分に突っ込む俺。て余計なこと書く俺。拝観料300円。むかつくけど払う。ニューセラミックてので出来てるんだって。すごいのかどうか知らんけど。ニューセラミックね。へー。これはきっといろんな所でトホホ観光地として紹介されているんだろうなあ。お大師さんはこんな扱いで喜んでいらっしゃるのかねえ。俺は汗かいて歩いてでっかいニューセラミック像にびびってる。なんだろうね人生って。ステンドグラスの曼荼羅ですよ。

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 どーん。


 君も高知に行ったときは寄ってみよう!



 納得いかない拝観を終えて少し行くと御厨人窟(みろくど)っていう、弘法大師が青年時代に篭って修行したという洞窟があった。この洞窟から見える景色を見て、大師は号を空海にしようと決めた、というのを司馬遼太郎の小説で読んだぞ。受付のおばちゃんとお話。暑いですねえ。飴ちゃんを貰う。関西なんだなって思う。なんか嬉しい。

 洞窟内に入ると。真っ暗。涼しい。波の音がこだましている。別に何も無い。ただの洞窟。やたら鳥居がある。涼しいな。洞窟に篭って修行って大変な気がするけど、夏場は逆に快適だったとみた。冬は寒いんだろうな。ずっとお経を唱えてたんだ。何を思ってたんだろう。何を見たかったんだろう。

 さてまた道に戻って続きを歩こうか、と回れ右。引き返そうとする、と、

 眼前にとてつもない存在感で噂のあの景観。

 その瞬間、後頭部から脳みそが締まった。

 瞳孔が閉じない。

 足が張り付いて動かない。

 俺は丸に鷲掴みにされる。


 ぽっかと口を、丸く開いた入り口。丸。そこからまばゆい光が漏れていて、眩しい。眼が慣れると水平線が見える。青い空と青い海が丸の中で一つ。青い丸。窓から景色を眺めているみたいだ。映画を観ているみたいだ。暗闇の中に差し込んでくる大海原に乱反射された太陽光。果て無い空。ぎらぎらしている太平洋。雲ひとつ無い空。プランクトンいっぱいの黒潮。1200年前、ここで同じ景色を見ていた天才がいた。彼はここで若干19歳の若さで虚空蔵菩薩求聞持法を会得した。彼は、この景色を自分の名前にした。


 ああ、

 なぜだろう。

 なぜだろう。

 なぜだろう。美しい。

 なぜだろう。手を合わせてしまう。

 なぜだろう。無抵抗で合掌してしまう。


 これは信仰心か?手を合わせずには居られない。

 宗教ってなんだろう。俺は世界を畏怖せずにいられない。俺は世界を賛美せずにいられない。空と海が交ざっている。空と海が混ざっている。空と海が雑ざっている。空と海がある。空と海が、無いよ。真っ暗な洞窟の中から外を見ている。そこには空と海があるよ。
 何だろう。この感動を信じたい。この景色を信じたい。はい、精神論。アミニズムな感じでいいすかね。多分俺は、今、一つとげが取れて、嫌いだった居直った大人に近づいた。でもいい。自己から発生する気持ち。確かreligionて、信条とかそういう意味もあるんだよね。良心に関わる主義。俺はこの空と海を、胸に持っていたい。だから歩く。あーあ。やっちった。でもいい。これでいい。俺は丸でいい。


 洞窟を後にする。丸から外に出る。


 おばちゃんに貰った飴ちゃんを舐めて、俺、奮発。単純だ。少し行くと最御崎寺入り口、と書かれたたて看板。登山口。ここから山登りみたい。興奮状態の俺は、がっがっがっ、と登山。1時間で登りきって目的地の最御崎寺をいてこます。眼下には壮大な高知県。そして海。これまた最高の景色。これで四国遍路の4分の1は制覇したんじゃないかね。満腹の心。消えない丸。


 まだ遍路は4分の1。

 この連載はいつ終わるんだろうね。いいんですかねこんなんでね。


 トンビかぴーよろってって飛んでるよ。

 夏が夏語で話しかけてくる。


 つづく

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