第29回 カンボジアの頃 其の六 大地

 Where are you going today?


 カンボジア2日目は暑い日だった。

 その夢は、また子供の頃の夢。実家の庭で、俺は日向ぼっこしている。芝生の上に胡坐をかいて、じりじりじりと皮膚が日焼けして、メラニンが増えていく感覚がある。青い青空。白い太陽。雲なし。汗が滴り落ちる。部屋から、「あんた何やってるの?暑いでしょ。部屋に戻りなさい」と母親が言っているのが聞こえる。俺は部屋に戻ろうとはしない。この、太陽に焼かれる感じをもっと味わいたいから。日光浴していることに、自由を感じるから。快感だから。俺はいつまでもここにいようと決意する。芝生の上で一生を過ごして、ここで死のう。ここならいつまででも楽しく生きていける気がするんだ。


 小さな窓から熱い陽光がさらさらさらっと流れ込んできてまぶたに当たって眩しい。覚める。朝でーす。俺は。はい。はーい。カンボジア二日目。朝。埃っぽい部屋で、眼をこすって、1,2,3、はい。起きた!起きた俺は。起きたよ。起きた。


 ロビーに出るとおばちゃんは居なかった。同い年くらいの背の高い従業員の兄ちゃんが、「モーニン!」て言うから、「おう、モーニン」と返す。「where are you going today?」と聞いてくる。「キリングフィールド行く」と言ったら、俺が8ドルでバイクで案内する、と言うから、あら、便利じゃないの、と面倒くさがりな俺は6ドルにまけてもらってOKする。ぼられたかな。
 朝食のフランスパンを食う。カンボジアは元フランス領のベトナムの隣だから、フランスパン。



 2ケツでぶんぶん。相変わらずのスーパーカブ。カンボジア人は皆スーパーカブ。一家5人で乗ってたりする。いたるところに交通事故の跡がある。ひでえな。悪路で足が痛い。


 着いた。

 キリングフィールド。アカデミー賞受賞映画で有名なあの場所ですよ。2万人が虐殺されたとこなんだって。公園みたいになってて、周りには何もも無いとこ。穴がいっぱいあって、それは埋められた死体を掘り起こした跡。首の無い死体ばっかりだったんだって。それを見て回る。穴と、写真と、看板の文。


 穴のそばの木の下にかわいい男の子がいて、俺のカメラを指差して「ピクチャー?」と言ってポーズをとる。微笑み。撮られたいのかなと思って一枚写真を撮ってやると、とても悲しそうな眼をして右手を差し出してきた。追い払う。


 白い、綺麗な、カンボジア建築?の慰霊塔があって、その中はガラス張り。中は頭蓋骨で埋め尽くされている。また骸骨です。骸骨だらけだねカンボジアは。そら2万も死んだら遺族とか照合できないね。魚の骨みたいなあつかいだね。貝塚みたいに、人の骨で塚ができて、ゴミ捨て場の様相。みんな昔は生きてた。同じように笑って怒って泣いた。でも死んだ。今は真っ白な骨。骸骨の眼の部分はどれも大きくえぐれていて、そこに眼は無いのに、そこから何かが俺を見ている。俺もその穴から何かが見れるかと思って覗いたけど、向こう側が見れるだけだった。気づくと全部の骸骨が俺を見ていた。俺は見れなかった。
 たて看板があって、そこに英語でキリングフィールドという名前の由来。ここでかつて起こったあらましが記載されている。キャミソールでポニーテールで、真っ赤に日焼けした肩のブロンドの妙齢のお姉さんが、それを読んでむせび泣いている。俺は難しい英語は分からないから読めないけど、そこに書いてある文章では多分俺は泣かないだろうな、と思う。白人女性の涙、落ちても暑いからすぐ乾く。俺はそれを見ている。自然にその人から足が離れる。



 真っ赤なバスがやってきた。見ると30人くらいの団体。韓国人のツアーらしい。集団で骸骨をみてギャーギャー言って、皆で骸骨の前で記念撮影。その中の1人の男が近寄ってきて話しかける。「写真、とてくれませんか?」日本語うまいですね、と言うと、恥ずかしそうに笑っていた。俺は写真を撮ってやる。「ありがとう」と日本語で言われる。そして輪に戻ってハングルで騒ぐ。ぺしゃぺしゃ笑いながら骸骨の写真を撮っている。彼は韓国人。俺は日本人。虐殺つながりなんじゃないの?自然に脚が離れる。


 あたりを散歩しようと思ってぶらぶら歩く。この細い道を行ってみようか。ちょうど死体を掘り出した跡の穴がぼこぼこあいているところの裏らへんに出た。そこには高い木が生えていなくて、視界が開けた場所。ん、誰かいるぞ。




 息が止まった。



 そこにあったのは湿原。地平線。大地。フィールド。ずーっと向こうまで続く田んぼ。植えられたバナナ。圧倒的な黄緑。そして茶色。田んぼ。田んぼっつっても日本のみたいな綺麗に区画整理されたやつじゃなくて、ぐにゃぐにゃの浮稲?ていうの?なやつ。遠くに笠を被って農作業している男が見える。彼は一所懸命に自分の田を手入している。ここから見たらとても小さい。写真みたいだ。テレビの景色。映画で観た景色。

 そして向こうに、中学生くらいの女の子、女学生が5人。学校の課題曲だろうか。童謡だろうか。流行曲か。声を合わせて、きゃっきゃきゃっきゃ言いながら、唄っている。カンボジアの歌を。その歌が風景に。風景が歌に。風景が風景に。歌が歌に。なる。離れたところにいる俺に気づき、異性である俺の視線を気にしている。あ、かわいい。なんだよこれドキドキじゃねえか。


 俺には見えた。彼女達の口から五線譜が流れ出て、その上にはきちんとト音記号とか四分音符とかが乗っかっているのを。よくあるじゃん、一遍上人像とか、あの口から観音様が出てくるやつみたいな。あんな感じで、すごく神聖なものに見えた。女の子たちの純粋な歌声は何にも侵犯されず、地平線を伝ってどこまでも流れる。




 美しい。



 なんで俺は陳腐な言葉しか知らないんだろう。美しい、この言葉以外でこれを表現できない。



 美しい、



 この土地の名前は、



 Killing field



 殺しの大地。






 この景色をずっと見ていたい。



 そうだ、俺はここに住もう。










 5分は立ち尽くしただろうか。暑くって暑くって。気温はおそらく40度を超えているだろう。そして赤道の日差し。かえろ。あちーよ。あの女の子たち、よくあんなハイテンション維持できるな。すごいや。かえろかえろ。暑くって居られねえや。


 帰りに中央マーケットを冷やかして、プノンバケンとかいろいろ観光地観て、宿に戻った。暑かった。いろいろ面白かった。いっぱい物乞いがいたよ。



 部屋に戻って、こっそり胸を開けて魂を除いてみると、ちゃんと大地が刻み込まれていた。


 俺は満足だった。

 ちゃんと冒険しているね、って。

↑ページのトップに戻る↑