第33回 インドの山奥の寺で修行の日々 2−緑色の銀河

 ルンビニでの生活、5日目のことだっただろうか。朝晩のマラソンみたいなお勤めにも5日経つと少しは慣れて、読経も旨くなって、本棚の本も読みやすい奴は大体読み終わって、あとは経典とかしか無いから、活字中毒の俺は禁断症状がでかけてた。仲良くなったダージリン出身の坊さんのディプと一緒に寺内の建物の壁にベージュ色のペンキを塗っていると、日本人の2人組がたずねてきた。


 「すいません。ここって泊まれるんですか?」


 パタゴニアのバックパックに、ニューバランスのスニーカー。明らかにお洒落に金かけてますっていう井出達の2人組。一目見てブルジョア大学生だって分かる。こんなところに何しに来たんだろう。

 「こんにちは。多分大丈夫だと思いますよ。俺もここに泊まってるんですよ」

 彼らは2週間だけネパールを旅しているという早稲田の学生で、世界遺産、という響きに誘われてルンビニに寄って、「地球の歩き方」に載っていたこの寺に来れば泊まれるんじゃないかと思ってここまで来たそうだ。2人とも俺と同い年だったから、すぐに打ち解けた。


 3人で色んな話をした。

 「ねえ下地君、自分、最近面白かった映画ってなに?」

 でた。「自分」。関西の人は方言の言い回しで良くつかうこともあるんだろうけど、関東の人間で2人称で「君」の代わりに「自分」を使うやつは大体偏差値の高い高校を出て現役で大学入ってインカレッジのオールラウンドサークル入る奴って決まってる。俺は真面目に答える。


 「んー、ターミネーター4かな。あとロッキー7」



 「下地君、好きな作家っているの?俺は村上春樹とか好きなんだけど」

 でた。村上春樹。村上春樹も早稲田出身だね。俺は村上春樹大嫌いです。ぬるいから。て、あんまり読んでないんだけどね。俺は真面目に答える。



 「んー、小栗虫太郎かな。それかフラー・リリンキー」



 「写真撮るときとかどうすんの?」

 俺の髭伸ばし放題ぼろぼろTシャツのたたずまいを見ての一言。

 写真撮りに来てるんじゃないからなあ。別に気にならないよ、と答えると、引いてた。ヒマラヤまで来て身なりを気にするのか。すげーな。



 「もう一生お経読むこと無いと思うし、まあ、何でも経験で記念だよな」

 そうなのか。


 「下地君、一緒に風呂入らねえ?せっかくだし」

 なんでだよ。やだよ。せっかくってなんだよ。



 こんな感じ。噛みあわず。


 寺の風呂は、3日に1回くらいしか入れてくれなかったけど、露天のドラム缶風呂で、電気を消すと真っ暗で星が見えた。標高が高いところだから星がびかんびかんに光っている。当然俺は一人で入る。
 天の河って緑色なんだぜ。緑色で、でっかくて視野に収まりきらない。巨大な銀河の塵にもならない隅っこで、俺は何をやっているんだろうな、なんていつもの陳腐なことを思う。俺の髭は伸びっぱなし。将来は全く見えない。つーかどうやって日本帰ろうか?お勤めで疲れた体にお湯がゆっくりゆっくり染みていく。星の一粒一粒が豊熟したブドウみたいに膨れ上がっている。今にも落ちてきそう。数多。絶対に数えられない数の星々。本当、河みたいだ。天の河。よくつけた名前だよな。ミルキーウェイってのはなんかいただけない。この巨大な河は、母性を感じさせるようなやさしい乳色なんかじゃない。もっときびしい、救いの無い緑色で毒々しいよ。夜空は他人だ。優しくなんかない。冷たい。

 明日も早起きして修行だ。その後ペンキ塗りだ。花壇が作りっぱなしだったから、あれもきれいに直したほうがいいんだろうな、トイレ掃除もしとくか、なんてことを考える。


 早稲田の2人組みは一泊だけして帰った。修行がきつかったらしい。俺は彼らを見送りながら切なくなった。自分の場所が分からない。シュールすぎるよね。俺って。まったく。どうしよ。俺はあれだ、ナデシコって奴だ。間違えたデラシネだ。


 明日真面目に生きてみたら何か変わるか?

 変わらないだろうな。

 そんな日々。

 俺は寺で意味も分からずに毎日お経を唱えていたんだ。

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