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第81回 ディプのこと。
あまりにも物欲しげで、吸い込まれてしまいそうな水色の空に、枯れたての枯葉がひらひらと待っている中を、僕は黒いジャージの袖をぎゅっと握って、そのままポッケに突っ込んで少し下を向いて、中学校のころに好きだったミュージシャンの歌を口ずさみながら、転びそうで転ばない歩き方ですらすらと歩いてる。散歩。日曜日。 駅前の、行きつけの、洒落た喫茶店に一人で入って、ランチセットを頼んで、ドリンクは紅茶にした。運ばれてきたダージリンティーの香りをかいで、ふと、僕はディプのことを思い出した。 そうだあの場所の空もこんな感じの水色で、こんな感じの風が吹いていた。
4年位前に、インド〜ネパールを一人旅したことがある。ネパール領にルンビニという街があって、そこは釈迦が生まれた街で仏教の聖地。もちろん観光地としても有名な土地で、日本の敬虔な仏教徒もたくさん訪れるらしい。 僕はそのころパーフェクトリー好奇心の肉塊で、もう、目に入るもの何にでも突っ込んでいって、そのまま何にもならないということを飽きずに繰り返していた。寺院で修行する、ということになぜかきらきらを感じていて、噂で日本山妙法寺という日本人が管理している寺が泊めてくれると聞いてすぐに行き、門を叩いて、置いてくれ、と頼んだ。 僕が寺を訪ねたとき、住職(腕にパンクな刺青のある、元バンドマンだった。)は留守で、変わりにその寺に居たのが、僕の1つ上の、ダージリン出身の、坊さんになりたてのインド人、ディプだった。年が近いからすぐに仲良くなって、いろいろな話をした。
妙法寺は日蓮宗で、修行で毎朝と毎夕に太鼓を叩きながら20キロくらいの行程を題目唱えながら歩くというのがあった。ディプは高校のときにサッカーでインド選抜にも選ばれたっていうくらいの健脚の持ち主で、僕はいっつも置いてきぼりにされてた。 お勤めが終わると一緒に壁にペンキを塗ったり、掃除をしたりした。辺鄙なとこにある寺だったから、彼も話し相手がほしかったんじゃないかと思う。音楽の話とか。彼が勉強中であるという日本語の話をした。ディプはロック好きで、ビートルズとスコーピオンズが好きだって言ってた。 死ぬほど渋い。 僕はスコーピオンズのことを今もメタルのすごいバンドってことくらいしかしらない。 なぜか60年代の音楽に詳しく、ドアーズとか、ベルベッツとかの話で盛り上がった。 ゴアに行くといい、あそこのガンジャは最高だ、なんて、坊さんとは思えない話をしたりして。 「ビートルズの歌で何が一番好きなんだ?」 と僕が聞くと彼は恥ずかしそうに、「グッドデイサンシャインだ」と答えていた。それを良く覚えている。
干し竿とか紐とかが無いので、晴れた日には、庭の芝生に洗濯物を並べて干していた。寺のぞうきんとかを洗って、布団を干して。「ダージリンはどういうところなんだ?」と聞くと彼は、「機関車があるだけで何も無い街だよ。でも僕はそこをとても愛しているんだ」と一重まぶたを細くして言ったし、「女に興味は無いのか」と僕の不躾な質問にも、「僕はモンクだからそんな気持ちは無いよ」と当たり前のように言っていた。その風に吹かれる枝みたいな飄々とした姿に僕は何かを感じていたのだろう。彼のことがすごく好きだった。
結局その寺を僕は1週間で出たんだけど、別れるときにキザに、「紅茶飲んだら君のことを思い出すよ」なんて言って。
ディプはまだあの寺で経をあげているのだろうか? もしかしたらこの瞬間あげているかもしれない。向こうとの時差は何時間なんだったっけ? 向こうの秋はどんななんだろう。僕は飲み干した紅茶のカップを置いて目を瞑る。あの頃には絶対戻れないし。今の僕はあの頃の僕じゃないし、ディプは僕のことなんて忘れてしまっているだろうし、もしかしたらディプは死んでしまっているかもしれない。 僕は鼻を掻いて、続いていく時間を舐める。 窓の外の水色の空が、僕の脳細胞を記憶を、白昼夢をちゅうちゅうちゅうちゅう吸って、なんだか哀しい気持ちにさせる。
んまったく、秋だ。
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