第82回 インドの、なんとかっていう駅で寝ていたら列車に乗り遅れたときの話4分の1

 唐突だが、野宿はしるしである。
 犬の小便のようなものである。
 初めて訪れた場所・土地で野宿をすると、その場所が自分のものになったような気がする。公園で野宿をすればそこは庭になるし、山で野宿をすればそこは城になる。森で寝ればそこは巣で、海辺で寝ればそこはオーシャンビューの別荘だ。使い古しの銀マットの寝袋に包まって、意識が眠りに侵食されていくのと同時に背中から汗と一緒に存在がだらだらと流れ出して、地面に浸みこんでくっきりと跡をつけるのが分かる。
 何かの名所で寝ればそこの歴史や文化に自分の体液がかかったような気がしてどきどきするし、都会のビルにもたれかかって寝ればそこで働く従業員の生活と添い寝している感覚に興奮する。
 旅先で知り合った見ず知らずの人の家。他人の人生ほど刺激されるものは無い。その土地の税金で建てられたぴかぴかの公衆トイレ。トイレで寝てこそ一人前だ。野外では寝ていなくても、孤独感があればそれは立派な野宿だと思う。
 得体の知れないタブララサが広がっていて、どうやら私はそこに自分が居たという証拠を残したいらしい。野宿は一滴の墨汁だ。野宿は無作為な作図だ。
 野宿は、記録だ。



 窓から射し酌む光で眼が覚める。どうやら夢だったようだ。
 朝か。
 私は寝ぼけ眼をごすごす擦って、自分の置かれている状況を思い出す。それにしても眩しい。霧もどうやら晴れたのか、それとも霧の地域を過ぎただけなのか、車窓から青空がきらきら光っているのが視界に入った。私はそれを見てちょっとすがすがしい気分になり、狭い車内でのびをする。近くにいた黄土色の服を着た男が邪魔くさそうに私のほうを見る。気にしない。列車は相変わらずゆっくり進んでいるようだ。デンマーク人のおっさんは向こうでチャーイを飲んでいた。私と眼が合うとウインクしてきたので私は右手を挙げてそれにかえす。外の空気を吸おうと固い車窓をがらがらとあけた。気温も上がっていて、やっと平和な気分になれた。その時車窓の外に見慣れない光景が広がっていることに気づいた。
 線路の向こうに大きな窪みがあって、人が10人くらい並んでしゃがんでいるのが見える。私の乗っている列車は時速30キロくらいで横切っていく。最初は彼らが何をしているのか分からなかったが、すぐに分かり、空いた口が塞がらない。私はそのあまりにも根源的な所作に、一発で打ちのめされた。
 脱糞していた。
 ノーグッドピープルが。
 過ぎ行く列車に恥ずかしげもなくインド人達は尻を向けて、朝陽を満身に浴び、輪廻を恨むかのようながに股で、ぼたぼたとカカオ色の固体を穴に落としていた。それは悲しみの光景だった。その窪みは便所なのだろう。屋根も壁も無い、穴だけの便所。その30m東を列車がゆっくり走る。おそらく何十年も続けられている、ローカーストの人々の早朝のおつとめ。朝陽浴びてうんこ。
 私は思わず、呟いた。
 「…、…おはようございます」
 旅が続いている。私は残り1つの蜜柑を食うことにした。彼らは雨の日は一体どうしているのだろうか。私はどしゃ降りの中コウモリ傘を差しながら排便している彼らの姿を想像し、そのコミカルさに少し笑った。

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