第84回 インドの、なんとかっていう駅で寝ていたら列車に乗り遅れたときの話4分の3

 暗い。
 そう、山の中。海の上。押入れ。ロッカー。流しの下。発展途上国。バイト先のぼろいビルのトイレ。考え事の公園。酔っ払って、終電での帰り道。人があまりいないところの夜で真っ先に感じて、一発で痺れさせられて、見入ってしまうのは闇の濃さである。夜は脳の奥のほうから私を吸い込んでいってそのまま宙ぶらりんにしてしまう。闇はいつも私の胃の底を握って離さない。
 私は今、闇の中にいるのだった。あまりの暗さに自分の足元さえ見えない。立っているのか、浮かんでいるのか。真っ暗な中で三半規管がいかれる。自分が今立っているところは地面じゃなくて水面のような気がしてきた。真っ黒な水の上に、私は何故か浮かんでいる。
 浮かぶ、ということは非常識なことだ。きっといつか、この均衡は崩れて大きな荷物を背負っている私は沈んでしまうのだろう。もがいても重い荷物のせいで2度と浮き上がれないのだろう。水の中では息ができないから、溺れてしまうのだろう。
 いや、もしかしたら私は既に水の中に居るのかもしれない。とっくに溺れて死んでしまっているのかもしれない。それくらい暗い。闇は畏怖で、停滞で、通告で、麻痺で、虚無で、苦しい。ここにいたくない。明るいところにいきたい。夏の昼間の、晴れた庭の見える部屋で、白いシーツの上に寝ていたい。薫る風の吹く、故郷の屋根の下で寝ていたい。
 怖い。


 またあの爆音アナウンスで目を覚まされる。どうやら夢だったらしい。いつの間にか時計を見ると午前0時である。まだ列車の来る時間ではない。
 だが、様子がおかしい。白人の太ったおばちゃんがガイドと共に待合室から肉を震わせて出て行くのだ。周りの旅行者も慌てて荷物をまとめ始めている。私が驚いていつの間にか近くにいたドイツ人の兄ちゃんに、なんなのか尋ねると、「トレインカムズだよ」、と言い、彼も急いで待合室から出て行った。列車は今到着して、もう出発するんかい。そんな、山手線じゃないんだから。と思いながらも、私は切羽詰った雰囲気に押されて急いで荷物をまとめて、待合室から出た。最初に待合室に入ったときから居た白人のおっさんが、まだ慌てて荷造りをしていた。
 列車は向こう側のホームに到着したようだった。重い荷物を背負って階段を駆け上がる。見ると列車は発車して、ゆっくり進んでいっている。ホームに着いた。列車が音を立てて横滑りしていく。他の旅行者の姿が見当たらない。皆は間に合って乗る事ができたのだろうか。飛び乗るかどうか迷う。さすがに咄嗟の勇気が出ない。近くにいた駅員に切符を見せて、私の乗るべき列車はこれかと確認する。するとインド人の駅員は私の切符をまじまじと見つめ、うーん、ちょっと待ってねー、みたいな感じ。お前空気読めよ。やはり飛び乗るべきか。そのとき白人のおっさんが遅れてホームにやってきた。インド人の駅員はやっと合点がいったらしく、兄ちゃん兄ちゃん、わかったよー、みたいな感じ。やたらフレンドリー。だから空気読めって。白人のおっさん2人は小さくなっていく列車の四角い背中を見て頭を抱えてこう言っている。「オーノー」。インド人が言った。「ディストレインハズゴーンナウだね」
 知っとるわ。

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