第91回 カンボジアの頃 其の七 暗闇

 いつものあの、暗い暗い夜のことで、なんか普通じゃないことだけがしたかったんだよね。

 プノンペンが夜になった。
 夜の街も見てみよう、っとさ〜んぽ、つって宿を出るともう、出た瞬間にバイタクの兄ちゃんに声をかけられる。ディスコに行かないか? だって。こりゃ危ないんだろうなあ。と思ったが、行こうっと、と即断。冒険とか、激情とか、未知の感覚とか、込上げるものに憧れがあった年頃なんだな。どこの馬の骨とも知らん兄ちゃんのバイクのケツに乗って街へ繰り出す。
 まだ暗くなったばかりだというのに、ほとんど車の走っていない信号の無い道。墨汁をかき分けて滑走するマシン。「夜のプノンペンは危険なのか?」と聞くと、「そうだよ」と兄ちゃんは済ました顔で言う。話をすると彼は大学生で建築を学んでいるそうだ。30歳くらいかと思っていたら結構若いのね。ふけてますね。これから発展していくカンボジアを支える貴重な人材なんだろうな、バイトで外人相手にガイドか、ガッツあるじゃん。なんてと思うとふらふら旅行している自分が恥ずかしくなる。信号待ちのときに急に振り返りにっ、と笑い、人差し指と中指に挟んだ名刺を渡される。e-mailと読めない文字が並んだ変な名刺だった。俺のことをJと呼んでくれ、なんて言われた。Jかよ。だせえなカンボジア、と思ったが、なんかありえないシチュエーションにきらきら嬉しくなる。ごてごてのアスファルトの上を、舐めるようにスーパーカブ2人乗り。詩情が迸るではないか。ふと、ここにきた理由の2つを聞いてみる。「マリワナってどこで買えるの? 女ってどこで買えるの?」するとJはバイクを止めて、俺の顔をまじまじと見るのだった。「ガンジャ&ボンボンガール?」聞かれる。「そうそう。ガンジャ&ボンボン」と答えると、川辺に連れて行かれた。


 メコン河はクメールの栄光を、挫折を悠久を、生活の淀むアプサラ色の水を、せっせせっせと下流へ運んでいるのだった。連れて行かれた先は言わば河の土手。河で冷やされた風で涼もうと10人くらいの人がたむろって立ち話をしていた。屋台が立っていて変なライスを客が食っている。周りに外国人は一人もおらず、彼らの白い目が俺の全身を舐めまわすのだった。何だここは。びびりながらも知らん振りをする俺。こえーよ。対岸に大きな客船が停泊していて、あれは何だ? とJに聞くと、あれは豪華客船で、カジノを運営している、リッチマンのシップさ、と面倒くさそうに言い、ここで待ってろ。ガンジャを買って女を連れてきてやる、と言うのだった。え、待ってるの? と聞き返すと、そうだ、10分で戻ると言い、バイクをばぶばぶさせてあっという間に行ってしまうのだった。
 うおーい、取り残されてしまったぞ。
 ここまでバイクで来たわけだから、宿への帰り道も分からない。ここがどこなのかわからない。プノンペンの夜は極端に街灯も少なく、ドープな暗闇でどぶどぶなのだった。危険なプノンペンのどこかに一人。俺。こんなことしてて。やべえ。
 死ぬんじゃねえ?

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