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第41回 貴乃花の失敗(前編)
前回ひさびさに相撲のことを考えてたらこの話を思い出したので、ちょっと今回も相撲話におつきあいのほどを。相撲好きの著名人は多いが、中でもデーモン小暮とやくみつるは露出度が多く、今回の騒動でもよく目にする。この二人は本当によく相撲を知っているし、相当な通だと思う。そもそも今回新たな騒動のネタになりつつある「貴乃花八百長問題」は朝のワイドショーでのやくみつるの質問が発端だったそうだが、ここで相撲には二つの捉え方があるということを再認識した。つまり相撲はスポーツか、否かということについてだ。私はその番組を直接見ていないので何ともいえないが、やくみつるは伝統を重視しながらもややスポーツ派だろうか。だからそういったきわどい質問を発したのかもしれない。ではデーモン小暮はどうかというと、彼は完全に否定派でガチガチの保守派である。実は私もこと相撲に関しては超保守派だ。相撲はスポーツではなく伝統芸能の一種だと考えている。だいたい太った男同士が裸で抱き合うなんてそんなのスポーツじゃないよ!というのは冗談でもなく本気の発言で、もともと色白で太ったお相撲さんは日本文化に深く根ざしている生きた芸術作品ともいえる。縁起物ともされてきた。伝統芸能であるならば、八百長などという言葉は存在しない。それは演出であって、なくてはならないものなのである。別に八百長しろといっているわけではない。もちろん誰もが勝ちたいし横綱になりたい。でもそんなことは承知の上で相撲界というのは微妙なあ・うんの呼吸で成り立っているのだ。そのあ・うんの呼吸が相撲取りも関係者も私たちファンも含めてわかっていないと相撲というのは成立しない。歌舞伎やお能で一見さんにはわからないお約束事があるように相撲界にもそれは存在する。やくみつるはそれがわかった上でガチンコ勝負を徹底してほしい派なのだろう。その考え方も私は肯定する。問題は貴乃花があまりに負け方が下手くそだったということではないだろうか。そして貴乃花は相撲界の微妙なバランスをひとりで勝手にぶっこわしているのではないだろうか。
問題の一番は横綱貴乃花と大関若乃花の優勝決定戦のことだ。弟が横綱で隆盛をきわめ、兄は大関でまだ優勝1回、ここで優勝して横綱への足がかりを築きたいところ、という場面だった。もちろん本場所では初の対戦(同部屋の力士は対戦しない。優勝決定戦だけは仕方なくやる)。実力的には兄は弟に到底及ばない。しかしここは血を分けた兄弟、弟が兄に花を持たせ横綱への後押しをするか。いや、ここはいくら兄弟であろうと厳しさを見せ付けるのではないだろうか、、、。というシナリオを見てるものは勝手に想像して楽しむのである。結果はどうだっていいのだ。どのように幕を閉じるかが問題なのである。それがあ・うんの呼吸というもの。そのときの貴乃花はあ・うんを十分認識していただろうし、自分はどうすべきか悩んだと思う。かといって貴乃花の信条からいって「わざと負けてやる」というシナリオは好きではない。ではどうすべきか。貴乃花は信条を曲げて兄に花を持たせるというシナリオを選択した。そして大一番、盛り上がりは尋常ではなかった。結果は若乃花が下手投げで勝ったのだが、その相撲をテレビで見ていた私は、「あっちゃー」と思ったものだ。力を抜いたのがバレバレの相撲。こりゃ八百長といわれても仕方ない。貴乃花の選択はまちがってはいなかった。ただ今まで勝ち続けることが最大の演出だった貴乃花にとって負けてやる相撲をとるのは経験不足だったのだろう。同情できる面もあるし、貴乃花も「やっぱ本気でやればよかった」と思ったことだろう。ならばなおさらそのことは墓場までもっていくべきだったのではないだろうか。その後貴乃花は兄弟子貴ノ浪との決定戦でも下手くそな負けっぷりを披露している。なんかこう考えていることが表に出るというか、妥協できないというか、わがままを通すというか、そういう雰囲気が貴乃花からはにじみ出ている。そのへんのところが勝っても勝ってもなかなか横綱に推挙されなかった原因かもしれない。ともかく貴乃花はあ・うんの呼吸をぶち壊しはじめた。それがいちばんよく現れているのが例の小泉”感動した”相撲である。(次回へ続く、、、予定)
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