|
第4回 見過ごせない奴ら
気になるとゆうのは、どんな形であれ 良い感情である。
気になるとき、 気にする側は「あれはなんだ?」と、 好奇心のアンテナが健全に作動した証拠であり、 不健全な場合、「何かを気にする」という高等な働きは作動出来ない。 空が青かろうが、犬が可愛かろうが、 犬がコンビニの前の電話ボックスに縄を止められ、コンビニの中で立ち読みをしてるであろうご主人さまを見つめる、その一途な瞳を見ても、 切なさを感じたりは出来ない。 哀しいかな、そうゆうとき、人間は酒くらいにしか目はいかないのだ。
そして、 気になられる側にも、やはり「誰かの気を引くことが出来る」という、 どんな種類であれ、何らかの魅力・インパクトを持っている証拠である。
私ビジョンで 歌手で例えるならば こうだくみと愛内里菜みたいなもんで、 こうだなんたらさんは、まあ、言ってしまえば大嫌いであるが、 あれはあれで目につくのだ。 目につくからこその「キライ」というマイナスではあるが興味いが湧く。
愛内里菜の場合 「AVっぽい」としか思えず、歌もルックスも素通りしてしまう。 カワイイんだろうけれど、引き寄せられないのだ。 つまり、どうでもイイ。
これはイタイ。 キライは好きに変わる奇跡はあれど、どうでもイイは、大概フォーエバーどうでもイイで終わる。そこにミラコーはなかなか起きない。
さて、長い前フリ。もはや 前フリだけでお腹いっぱい、毒いっぱい。 全国のこうだファン、愛内ファンから、カミソリレターの覚悟は必至。どんとこいや、いや、嘘、こないで。
時代はスタイリッシュである。個性派、モード系、なんちゃらかんちゃら。 個性派ってのは、「派」になってる時点で「個性的」ではないんでは? とは余談のつぶやき。 都会に並ぶ看板はみな 細やかな色彩、さりげないオサレ。 どれもこれも綺麗である。 どれもこれも つまり愛内里菜なのだ。 横一列、ある程度の基準を満たすクール。 ナカナカオサレ。
「あ!これは!!」と目につく、気になるアイツ的な看板は 渋谷を歩くより、我がホームタウン久喜を歩く方が、俄然の効率の良さで巡り会う。
「カラオケスタジオ のりのり」
これを最初に見たときの感動ったら、 それはまさに カッコイイバンドを見つけて、誰かに教えたくなる瞬間と同じ類の高揚感。
なんだこれ! もしも 私がカトちゃんならば「8時だよ!」と全員集合をかけて、見せたくなる。 なんたって、もう のりのりなのだ。
こんなにもダイレクトな看板を貴方は見たことがありますか?
ちょっと近づいてみる。。。 更に こんな看板。
「のりのりでえー 唱えばー 誰もが スタアだーー」
のりのり、ノリノリが過ぎる。 しかも、のりのりの割に、サブの看板はチョット甘え上手のギャルのようなこの口調。
でも、ここまで言い切られちゃうと なんだか爽快である。 きっと、皆 スタアになっちゃうのだ。
スターの敷居が一挙に低くなった瞬間である。 にしきのあきらも、道に迷ったときは、 のりのりで唱えばいい。
いつか、もしも出会えたら伝えてやりたい。
カラオケスタジオ のりのり。を。
↑ページのトップに戻る↑ |